東の方角を守る持国天。
壮大なスケールの東大寺南大門をくぐり、真っすぐ北へ進むと東大寺の中門が見えてきます。大仏殿手前の中門両側には、持国天と毘沙門天が立っていました。
東大寺中門の持国天。
四天王の中でも東の方角を守護すると言われる持国天。
国を支える役割を担う持国天は、東大寺が国分寺であることを思えば、まさに似つかわしい仏像であると言えます。
1719年開眼供養!邪鬼を踏み付ける四天王像
東大寺中門の持国天立像は江戸時代の作です。
荒々しい表情で睨みつけられれば、邪悪な者もひるんでしまいますね。
中門を額縁にして、大仏様が安置される大仏殿を望みます。
吹き抜ける風に垂れ幕が揺れています。描かれるデザインは吉祥文様の花喰鳥でしょうか。
持国天に踏み付けられる邪鬼。
歯が出ていますね(笑) 目、鼻、歯のそれぞれが強調されて彫られているような印象を受けます。仏像鑑賞の習慣として、ついつい四天王の下敷きになっている邪鬼の表情に注目してしまいます。どこのお寺の邪鬼も、滑稽でユーモラスな表情をしています。
それにしてもなぜ、東大寺中門の持国天は西側に立っているのでしょうか?
先日、京都の仁和寺を訪れた時にも、中門を守護する持国天と毘沙門天(多聞天)を拝観しましたが、向って右側の東に持国天、左側の西に毘沙門天が立っていました。四天王の立ち位置から考えれば、仁和寺の中門は妥当な配置だと思われます。
ところが、東大寺中門の持国天は向かって左側の西の方角を守護しています。
なぜなのでしょうか?その理由が知りたいところです。
東大寺中門と鹿。
奈良公園の鹿のお尻は白いんですね。
猿のお尻は赤くて、鹿のお尻は白い。改めて認識しておきたいと思います。
金網越しに持国天を仰ぎ見ます。
中門の持国天立像は、京仏師山本順慶の手によって造立されました。
1719年(享保4年)に開眼供養が行われ、大仏殿の守り神として時を刻み続けています。
足にズームインしてみます。
所々に細やかな彩色が見られます。
比較的新しい仏像だけに、造立当時の面影が残されていることに気付かされます。向かいに陣取る毘沙門天と共に、東大寺の大仏殿へと続く聖域を守り続けます。