春日若宮おん祭のお渡り式を前に、興福寺五重塔前で予行演習が行われていました。
大名行列に見られる独特の所作を「奴振り」と言うようですが、午前11時過ぎに行くと間近に見学することができます。お渡り式の最後尾・しんがりを担うのが大名行列です。最後を締め括るにふさわしい隊列ですので、是非皆さんも足を運んでみて下さい。
奴が駕籠を背負います。
興福寺東金堂と五重塔を背景に、よく映える光景です。高く掲げられた四角い ”挟み箱” もいいアクセントを生んでいますね。
中金堂や南円堂を背景に繰り広げられる予行演習
正午から始まるお渡り式。
本番を前に、続々と大名行列の面々が五重塔前に集まって来ました。毎年繰り返されるリハーサル風景だと思いますが、興福寺中金堂が落慶したことでより ”映える” 光景になっていました。
黒い笠を被っているのは、家老・奉行・目付クラスの人たちでしょう。
向こうに見える八角堂は南円堂です。
予行演習会場の東金堂・五重塔前へ向かう駕籠の隊列。
大名行列の隊列は、郡山藩列を筆頭に子供大名行列、南都奉行列と続きます。
大名行列は江戸時代からお渡りに加わったようです。当初は大和国内の郡山藩・高取藩などが奉仕していました。一時衰退していたようですが、昭和54年に奈良市内で「大名行列保存会」が結成され今に至ります。
こちらは馬出橋(まだしのはし)。
午後1時過ぎになると、春日大社参道にて競馬神事が行われます。その際、馬の走り出すポイントが「馬出橋」になります。
馬出橋は「八位の橋」とも呼ばれ、春日大社本殿から最も遠い位置にある橋とされます。ここから御旅所前の勝敗榊までのスピードを競います。
興福寺東金堂、五重塔前に集まり出す大名行列。
参勤者たちは和気あいあいとした雰囲気で、お互いにスナップ写真の撮り合いっこをなさっていました。歴史的建造物を前にすると、江戸時代にタイムスリップしたようです。
奴さんの足元。
奈良盆地の冬は底冷えしますからね、さすがに寒いのではないでしょうか。
毛槍を持つ中間(ちゅうげん)。
中間(ちゅうげん)とは「中間男(ちゅうげんおとこ)」のことで、武家の召使を意味します。要するに奴(やっこ)ですが、侍と小者(こもの)の間に位することに因みます。槍の先に付いているのは、どうやら鳥毛のようです。この毛槍を放り投げて、鮮やかな受け渡しが披露されます。毛槍の受け渡しも「奴振り」という所作の一つと言われています。
お殿様を乗せたであろう駕籠。
さすがにこれは重いのでしょう、駕籠持ちは若手男性で構成されていました。
中金堂が映えますね。
興福寺との関係も深かったおん祭ですが、今も「松の下式」の直前には、興福寺南大門跡にて「南大門交名の儀」が行われる段取りです。
一際大きな毛槍が立てられます。
なんだか『千と千尋の神隠し』の湯婆婆の髪型を思い出してしまいます(笑)
挟箱(はさみばこ)を担ぎ上げる中間(ちゅうげん)。
大名行列には数多くの荷物が持ち運ばれました。特にこの挟箱には、道中の着替え用衣服が入っていたようです。挟箱を持っていない方の決めポーズが面白いですね。折紙の奴さんを想像してしまいますが、おそらく奴振りの一部なのでしょう。
警察のテントですね。
「テロ警戒中!」の看板が立っていました。ちょっと物々しいですが、今の時代を反映しています。人が集まる所が狙われがちですから、用心するに越したことはありません。警察の方々、どうもご苦労様でございました。
猿沢池周辺には露店が居並びます。
所狭しと肩を寄せ合う姿を見ると、大和一国を挙げての祭礼であることを改めて感じます。市内の小中学校の多くがこの日は午前中授業のみのようです。そのためか、露店周辺には若いママさんや子供たちの姿が数多く見られました。伝統を継承していくためには、子供たちに実際に触れてもらわないといけませんからね。
これだけの規模の祭りです。毎年開催されることは平和の象徴にもなります。これからも連綿と受け継がれていくことを願ってやみません。
ヒーヨイマカセー、エーヤッコラサノサー!