不思議な三本足の鳥居。
世にも奇妙な鳥居が京福電鉄嵐山線の蚕ノ社にあります。
広隆寺の鐘を見学した後、新霊宝殿に収められた国宝・重要文化財の仏像群を鑑賞し、今回の旅の目的である蚕の社へ向かいます。広隆寺から蚕ノ社へ徒歩でアクセスしたのですが、所要時間はおよそ10分ほどだったでしょうか。そんなに遠くもなく、お年を召した方でも十分に周遊観光を楽しめるのではないかと思われます。
蚕ノ社の三柱(みはしら)鳥居。
さすがに存在感が違います。
真下には石が積み上げられ、その上に御幣が立ちます。宇宙の中心を表す「神座(かみくら)」に向け、三方向から手を合わせます。
秦氏の養蚕を今に伝える木島神社
大神神社参道沿いの大神教本院でも目にした鳥居ですが、歴史的にもこちらの方が本家本元でしょう。
神々しいオーラを解き放つ謎の鳥居です。なぜこのような形をしているのか?その理由が知りたくなる摩訶不思議な鳥居です。
広隆寺からの道中、街行く人に蚕の社の場所を最終確認します。どうやら行く手左側にあるようです。神社の鳥居をくぐると、正面に舞殿のような建物が見え、その左奥に三柱鳥居が息をひそめていました。
木島(このしま)神社の社号標。
道路沿いに「木嶋坐天照御魂社」と刻む石標が建っていました。
蚕ノ社とはあくまでも通称で、正式名称を木嶋坐天照御魂(このしまにます あまてるみたま)神社と言います。どうやらこの辺りの地名は木嶋(このしま)と呼ばれているようです。古くから雨乞いの神と崇められていたようで、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)以下、五柱を祀ります。
蚕の社の由来ですが、本殿の東側に蚕養(こかい)神社があり、蚕が祀られていることから「蚕の社」と言われるようになったいきさつがあります。
拝殿に紋付きの提灯が掛けられていました。
蚕の社の神紋でしょうか、葵の紋がデザインされています。
蚕ノ社境内にあるこの鳥居をくぐると、お待ちかねの三柱鳥居が見えて参ります。
蚕ノ社の創建は、「続日本紀」によると7世紀頃だとされています。渡来人の秦氏が養蚕と織物の神を祀ったことに始まります。
鳥居をくぐると、石段があって窪んだ場所が見えてきます。
垣根の向こう側に、かすかに三柱鳥居が垣間見えます。
垣根越しに三柱鳥居を望みます。
ここから先は神の領域です。
三方のどこから見ても、鳥居の形が正面に見える三柱鳥居。真上から見るならば、三角形が浮かび上がる謎のフォルムを形成します。
三柱鳥居はなぜこのような形をしているのでしょうか?
一説によれば、古代オリエントに通じていた秦氏が、そこで広まっていた景教(けいきょう)の影響を受けていたのではないかと言われます。キリスト教の三位一体が、この三柱鳥居に表現されているのではないかとする考え方です。
今は干上がっていますが、三柱鳥居の下は元糺の池(もとただすのいけ)と呼ばれる小さな池でした。
湧水の湧き出る神様の池だったわけですね。その面影を探していると、嵐電の蚕ノ社駅に元糺の池の写真が掲げられていました。
嵐電の蚕ノ社駅。
駅のプラットホームで、往時の面影を偲ばせる写真を見ることができます。夏の土用の丑の日に、元糺の池に手足を浸すと病に罹らないという言い伝えがあります。
「糺す」という言葉から、下鴨神社の太古の森である糺の森を思い浮かべますね。
下鴨神社の神紋は双葉葵ですが、つい先程、蚕の社の拝殿で見た葵の紋が重なって見えます。それもそのはず、下鴨神社の糺の森は、蚕ノ社の池から神様が遷ってきた神域であると言われます。外国人観光客の増加に伴い、今は観光客でごった返す下鴨神社ですが、糺の森の起源がここにあったとは・・・
拝殿の横から三柱鳥居を見下ろします。
蚕の社の三柱鳥居は、京都三鳥居の一つに数えられます。
京都御苑内にある「厳島神社の唐破風鳥居」、北野天満宮内の「伴氏社(ともうじのやしろ)鳥居」と共にその名を連ねています。
三柱鳥居の謎の解明に当たり、それぞれの方位の先にあるものを見るという説もあります。
三方位の南東に稲荷山、北に双が丘(ならびがおか)、南西には松尾山がそれぞれ控えています。秦氏に関係の深い遥拝所に向いているのではないか、そんな風に捉えることもできます。
謎が謎を呼ぶ三柱鳥居。
太秦観光の際には、是非足を運ばれることをおすすめします。