白山比咩命を祀る白山姫神社@王寺町畠田

白山比咩命(しらやまひめのみこと)

加賀国の白山に祀られる神で、修験道の白山信仰でよく知られています。

別名を菊理姫(ククリヒメ)と言い、安倍文殊院の境内にも奉祀される神様です。ククリヒメの名前から、安倍文殊院では ”括る” にあやかり縁結びの神として崇められています。そう、あの伊邪那岐と伊邪那美の仲を取り持った神様です。

白山姫神社拝殿

白山姫神社の拝殿。

白山姫(しらやまひめ)神社の御祭神は白山比咩命です。

白山姫神社の鳥居前には、聖徳太子葬送の道が通っています。

推古天皇30年(622)に斑鳩で亡くなった聖徳太子は、お墓のある磯長(しなが;大阪府太子町)まで葬送されました。太子道とも呼ばれる古道沿いには、太子ゆかりの達磨寺や芦田池(あしだいけ)があります。また、白山姫神社から太子道をはさんだすぐ東側には、国指定史跡の尼寺廃寺跡が広がります。

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送迎山城跡の東方鎮座&送迎の地名由来

王寺町畠田には送迎(ひるめ)という地名があります。

難読地名の多い奈良県内でも、特に読み方の難しい地名ではないでしょうか。周辺地図を広げてみると、白山姫神社の西方に「送迎山城跡」と案内されていました。

白山姫神社の絵馬

白山姫神社の絵馬堂。

拝殿右横に倉庫のように建つ木造小屋・・・小屋の中に足を踏み入れてみると、おびただしい数の絵馬が掲げられていました!火幡神社をはじめ、この辺りの神社には絵馬を奉納する慣わしがあるようです。

白山姫神社の鳥居

白山姫神社の境内へと続く石段。

王寺町観光協会発行の『王寺いろは手帖』によると、参道の石段の中に「送迎太神宮道」と刻銘された道しるべが、半砕された上で転用されているようです。次回参拝の際には、是非確認してみようと思います。

それにしても珍しい地名ですが、そこには聖徳太子が深く関わっています。

太子が磯長にある自分の墓まで視察へ行った際、斑鳩からの送りの使いと、磯長からの迎えの使いがちょうど落ち合った場所であったと伝わります。その時間がちょうど昼飯時であったため、「送迎」と書いて「ひるめし」→「ひるめ」に転訛していったようです。

白山姫神社の由緒

白山姫神社の案内板。

創祀は貞観3年(862)とされている。元禄9年(1696)3月に奉納されている石灯には白山権現御神前と刻され加賀白山と関係があったことがうかがえる。

火幡神社を中心とする産業地として、農業にかかせない水、明神山の罔象女神(みづはのめのかみ)とともに白山姫神社のご祭神<白山比咩命>は五穀豊穣を祈願する神として、厚い信仰をあつめていた。

現在の本殿は神明造り、素木の二間社で、拝殿は瓦葺平屋である。また見事な石造唐獅子一対は、弘化2年(1845)12月に氏子が奉納したものである。境内には摂社二社があり、金毘羅神社と神明造りの春日社である。

境内は広く、山桃の大木がそびえ、ツブラシイ、小ナラ、サカキ、クヌギ等が林となって、古い時代の神社様式をそなえている。

尼寺廃寺跡

尼寺廃寺跡(にんじはいじあと)の塔基壇。

白山姫神社のすぐ東側には、国史跡の尼寺廃寺跡が広がっていました。

白山姫神社の石燈籠

白山姫神社の石燈籠と手水舎。

歴史を感じさせる灯籠ですね。

白山姫神社

拝殿前は割と広く取られています。

拝殿向かって右手前と、右後方にそれぞれ境内摂社が祀られていました。

白山姫神社の摂社

拝殿右手前の摂社。

由緒書によれば、金毘羅神社と春日社の二社が祀られているようです。どちらが金毘羅さんなのかは定かではありません。

白山姫神社の摂社

こちらは拝殿右奥の摂社。

すぐ左後方には本殿が見えています。

白山姫神社の絵馬堂

拝殿右手にあった絵馬堂。

鄙びた建物ですが、中には所狭しと奉納絵馬が掲げられていました。

白山姫神社の奉納絵馬

絵馬に描かれているのは「宇治川先陣」と「尉(じょう)と姥(うば)」でしょうか。

男の子が生まれたら宇治川先陣、女の子が生まれたら尉と姥を奉納する習わしです。

宇治川先陣の奉納絵馬

時代的にまだ新しいものは色も鮮やかですね。

時系列で時の流れを感じさせる絵馬堂です。

白山姫神社の木札

拝殿に掛かる木札。

この日は白山姫神社にお参りした後、散策コースを辿りながら尼寺厨神社、平野塚穴山古墳、正楽寺の線刻阿弥陀仏と見て回りました。ふと気付いたのですが、尼寺廃寺跡や平野塚穴山古墳は香芝市内の観光スポットとして案内されています。そこから目と鼻の先ではありますが、白山姫神社のある場所は王寺町に入ります。

白山姫神社からさらに西へ上がって行けば、畠田古墳明神山へアクセスします。

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