奈良県生駒郡安堵町に飽波神社という古社があります。
大和川や富雄川が近くを流れる低湿地帯に鎮座しています。聖徳太子創祀の神社であり、御祭神はスサノオノミコトとされます。
太子道沿いに建つ飽波神社。
駐車場が近くに見当たらなかったので、紫雲山極楽寺の駐車場に車を停めて、まずは極楽寺を参拝。その後、その足で徒歩数分の所にある飽波神社にお参りして来ました。
湿地帯に鎮まる聖徳太子飽波宮跡
飽波(あくなみ)は古代地名として知られます。
どうやら斑鳩付近の地名だったようで、正倉院の幡(ばん)には「阿久奈弥評(あくなみこほり)」と記されています。
この辺りは湿地帯で、常に水害に悩まされてきました。近くの安堵町歴史民俗資料館では灯芯引き体験ができますが、低地に密生する葦(あし)から灯芯を採取していました。奈良の諸大寺へも献じられていた灯芯は安堵町の伝統産業として有名です。
拝殿前の案内板。
飽波神社の本殿は奈良県指定有形文化財のようですね。
以前から雨乞いの神社だと聞いていたのですが、これですね。ナモデ踊り関係資料115点が奈良県指定有形民俗文化財になっています。
お宮参りの絵馬が掲げられていました。
安堵なもで踊りは、雨乞いの踊りとして知られます。なかなか雨が降らない状況が続いた後、念願かなって願いが達成された時に踊ったとされます。
なもで踊りの行事は復活しているようで、10月の第4土曜日に奉納されています。
拝殿の蛙股。
珍しい形をしていますね。
神社仏閣の意匠に目を凝らしていると、面白い発見があるものです。
鳥居を入って左の方へ歩を進めると、聖徳太子と愛馬の黒駒が休憩したと伝えられる腰掛石があります。
飽波神社は聖徳太子の飽波宮跡であるとする説もあります。
安堵町歴史民俗資料館の中に、聖徳太子を描いた行燈が飾られていました。
車を停めた極楽寺も、聖徳太子創建であると伝えられます。ここ安堵町は、飛鳥や斑鳩と同じく太子ゆかりの地だったんですね。
境内に飽波神社の簡単な由緒書がありました。
江戸時代には牛頭天王社と称していたそうです。
なもで踊りは漢字で書くと、「南無手踊り」となるんですね。
南無とは、確か ”帰依する” という意味だったように記憶しています。南無阿弥陀仏で、阿弥陀仏に帰依する。南無手踊りの意味を解説するなら、手踊りに帰依する。あるいは、手踊りに身命を捧げておすがりする、といった意味合いになるでしょうか。
聖徳太子ゆかりの地であり、文化財の宝庫でもある飽波神社。
安堵町を訪れる機会があれば、是非参詣されることをおすすめ致します。