近鉄御所線新庄駅の西側に柿本神社が鎮座しています。
柿本神社の御祭神は三十六歌仙の一人に数えられる柿本人麻呂です。橿原市の地黄町にも柿本人麻呂を祀る人麿神社がありますが、ここ柿本神社から分祀されていることを記しておきます。
柿本神社。
近鉄御所線の線路脇に鎮まるお社で、葛城市役所新庄庁舎と近鉄新庄駅の間にあります。
拝殿裏に柿本人麻呂のお墓
拝殿向かって左後方に「柿本大夫人麻呂之墓」と刻まれた石碑が建っています。
朱色の本殿の南側に位置しており、大和郡山藩主の松平信之が1681年(天和元年)に建てたものとされます。
柿本人麻呂のお墓。
お墓の前には右側から、「南無去来 一切三宝 先霊往生」と記されています。
柿本人麻呂の万葉歌で思い出すのが、山の辺の道沿いにある衾道の歌です。妻を失った悲しみがひしひしと伝わってくる名歌ですが、人麻呂自身も死に際しては南無去来の境地に至ったのでしょうか。
手前から歌塚、柿本人麻呂の墓、柿本神社本殿と続きます。
櫟本の鎮守神・和爾下神社の御膝元にも、人麻呂の遺髪を葬ったとされる歌塚があったことを思い出します。さすがに有名な万葉歌人とあって、奈良県内にも多数の人麻呂ゆかりの地があることに気付かされます。
拝殿には三十六歌仙の歌が奉納されていました。
ちょっと文字は読みづらいですね(笑)
新庄駅のすぐ近くに鎮座する柿本神社
新庄駅の裏側と言ったらいいでしょうか、柿本神社の鎮座地は駅のすぐ裏手です。
国道24号線から西へ、葛城市役所新庄庁舎を目指してしばらく進むと、程なく右手に近鉄御所線新庄駅が見えて参ります。そのまま直進して踏切を超えると、右側に柿本神社らしき杜が視界に入ってきます。
左側から葛城市役所新庄庁舎、柿本神社、近鉄新庄駅。
それぞれが折り重なるように隣接しています。
赴任地の石見国(島根県益田市)で没した柿本人麻呂を、770年(宝亀元年)に改葬して、傍らに社殿を建てたのがその起源とされます。
近鉄御所線新庄駅。
線路の向こう側に見える緑が、柿本神社の神域です。
この辺りは古代葛城の中心地とされます。旧南・北葛城郡の間に立郡した忍海部(おしぬみべ)の地域に当たります。
境内の歌塚。
6月初旬ということもあってか、歌塚の周りにはたくさんの蚊が飛んでいました。蜘蛛の巣に引っ掛からないように注意しながら境内を散策します。
柿本神社神宮寺の影現寺
柿本神社拝殿の向かって右側に影現寺(ようげんじ)が佇みます。
何やら神様の影向(ようごう)を思わせるようなお寺の名前ですね。柿本寺とも呼ばれる影現寺には、はめ込み式の首が夜に月の出る方向を向くと言われる「木造人麻呂像」(紀僧正真済作)が安置されています。
影現寺。
ご本尊は十一面観音様のようです。
柿本山影現寺。
こちらが山門でしょうか。
向かって左手の柿本神社と右手の影現寺は境内続きになっていますので、その間には何の仕切りも存在しません。入口だけは分かれているようですね。
筆柿の木越しに柿本神社拝殿を望みます。
柿本神社の筆柿は「ぶどう柿」とも呼ばれ、秋になると筆の穂先のようなかわいい実を付けることで知られます。
兵庫県明石市人丸町に鎮座する柿本神社にも、同じ樹齢と思われる筆柿が存在し御神木と仰がれています。同じ樹齢ということで、人麻呂が明石から持ち帰ったのではないかと伝えられます。
柿本神社を参拝した後、飯豊天皇埴口古墳、葛城市歴史博物館、角刺神社などの名所を巡りました。
まだまだ知らないことが多い葛城市観光は、歴史への興味を尽きることなく掻き立ててくれます。
塀越しに見る柿本神社本殿。
有刺鉄線が張られていますね。
柿本神社のあるこの辺りの集落の名前は「柿本」と言います。帰り道の国道24号線にも、「柿本」と書かれた交差点がありました。柿本神社の御例祭に、毎年4月18日に催されるチンポンカンポン祭というお祭りがありますが、どうやら4月18日は人麻呂の命日のようです。五穀豊穣を願う祭事として賑やかに執り行われています。
柿本神社参拝案内
万葉集歌人の柿本人麻呂を祀る 柿本神社
住所:奈良県葛城市柿本164
拝観料:無料(境内自由)
駐車場:無し
アクセス:近鉄御所線新庄駅下車徒歩1分