璉珹寺と言えば五月、五月といえば璉珹寺。
毎年5月になると、仏像の特別拝観や境内を彩る花々で賑わう璉珹寺(れんじょうじ)を訪れて参りました。
璉珹寺の本堂。
本堂内には御本尊・女人裸形阿弥陀如来像が安置されています。
普段は拝観することが出来ない仏像だけに、お参りする前から胸の高鳴りを覚えます。
璉珹寺ご本尊の女人裸形阿弥陀仏。
仏像写真を1枚500円で購入することができます。見事な雲を模った台座にお立ちになられていますね。仏頭に螺髪はなく、綱を巻き上げたような模様が見られます。ご住職のお話では、生きている仏様の証になっているようです。
曼網が見所の白色像は奈良県指定文化財
璉珹寺のご本尊は阿弥陀と釈迦の両方の性質を持ち合わせているそうです。
造像当時は救いの対象は男性のみで、なぜか女性はその対象から漏れていました。そんな時代に造られた有難い仏様です。光明皇后をモデルとした仏像で、指と指の間に広がる曼網相(まんもうそう)が特徴的です。一切の衆生を救い上げるべく、その膜は第一関節にまで達しています。当時の女性にとっては、待ちに待った仏様だったのではないでしょうか。
本堂から渡り廊下でつながった休憩処。
庭を眺めながらゆったりと腰掛け、お茶とお菓子のセットを頂くことができます。お座敷の奥の方には吊るし雛なども飾られていました。
一流スイマーにでもなると、その指の間には水掻きが出来ると言います。少しでも水をつかむために、自然と体が進化していくのかもしれませんね。しかしながら水泳選手の水掻きも、せいぜい指の付け根に少し見られるぐらいでしょう。それに比べて、女人裸形阿弥陀仏の曼網は指先に近い第一関節にまで達しているのです。これはスゴイことですよね。お顔や腕を複数持つ仏像はよく知られるところですが、女人裸形阿弥陀はパッと見では分からない曼網に見所がある美しい仏様です。
璉珹寺のニオイバンマツリ。
由緒書の手前に開花していました。ニオイバンマツリは咲き始めが紫色で、徐々に白色に変化していくそうです。その途上にあると思われる花も見られますね。初夏の陽気の元、得も言われぬ芳香を解き放っています。
ニオイバンマツリは漢字で匂蕃茉莉(においばんまつり)と書きます。単にマツリカ(茉莉花)と呼ばれることもあるようです。バンマツリの「蕃」は外国、「茉莉」はジャスミンを意味しています。
本堂裏の庫裡に掲げられる南無阿弥陀仏の額。
この場所では写経なども行われているようですが、無心になって仏様と対峙した形跡がうかがえます。本堂内にも南無阿弥陀仏で書かれた屏風がありましたが、あまりにも文字が小さくて無数に並んでいたため、何かの抽象画かなぁと勘違いしていました。
一定のリズムで波打ちながら、”不可思議” にでも達するかと見紛うほどの南無阿弥陀仏です。
未婚女性が取り替える御本尊の袴
璉珹寺の木造白色の裸形像。
上半身の胸部に膨らみは見られませんが、この裸形像は女性の仏様とされています。御本尊の下半身を覆う袴にその秘密が隠されているものと思われます。庫裏内に案内されて、一番最初に見せて頂いたのが女人裸形阿弥陀仏の御袴でした。
白色阿弥陀が50年間お召しになられていた御袴。
本尊の阿弥陀如来立像は50年に一度だけ、お袴のお取替えが行われます。その際に開扉されるのが慣わしでしたが、現在では毎年5月の一箇月間の御開帳となっています。
御袴の模様。
西陣織で仕立てられています。
ガラスケース越しに拝観している御袴ですが、現在本堂内でお召しになられているものよりも質がいいのだとか。文様こそ変わりませんが、昔の職人さんはやはり腕が良かったのですね。鶴や亀甲、松の文様が見られます。どれもおめでたいものばかり・・・吉祥文様に守られた阿弥陀様であることが分かります。
袴の取り替えは未婚の女性によって行われるそうです。
前回はお寺の娘さんたちによって執り行われました。その時の様子が、克明に写真アルバムに残されていました。
お写真の裸形阿弥陀如来は白い上半身をなさっています。
私が本堂内で拝観した実物の阿弥陀仏は、もう少し煤けて黒みがかっていたような気が致します。以前までは50年に1度の御開扉でしたが、今は1年に1度の御開扉となっています。そのため紫外線の影響もお受けになられているようです。
開帳期間が五月ということですから、一年の内で最も紫外線の強い時期と重なります。特別拝観の時期に咲くニオイバンマツリやオオヤマレンゲなど、タイミングのいいこともあるのですが、ご本尊の阿弥陀仏にとっては美白を守り抜くのも一苦労といったところでしょうか。
それにしても美しい台座の上にお立ちになられています。まるで薔薇のようでもあります。
御袴の横には仏画の掛軸がかかっていました。
直近の袴の取り替えは1998年に行われています。その計算でいくと、ガラスケースの中に収まった御袴は1948年に御本尊から取り外されたことになります。ご住職のお話では、上半身こそ黒ずんではきているものの、袴で覆われた下半身はまだ白いのだそうです。
拝観受付の手前に、渦巻き状に整えられた庭の案内が出ていました。
この渦の真ん中はパワースポットなんだそうです。
どこか鳴門の渦潮のようなエネルギーが感じられますね。一説によれば、女人裸形阿弥陀仏の女性のシンボルそのものが描かれているとも言われます。真実のほどは定かではありませんが、蛇がとぐろを巻いている姿にも似ていてどこか神秘的なものを感じます。
璉珹寺の庭に浮かび上がる渦巻き模様。
その真ん中に、何か小石のようなものが置かれていますね。
鎌倉時代に流行ったという裸形像。伝香寺のはだか地蔵なども裸形像の範疇に入るものと思われます。西光院に伝わる弘法大師像、新薬師寺のおたま地蔵なども裸形です。しかし、なぜにまた裸形の仏像が造られたのでしょうか。衣服を着せることを前提に彫られているものと思われますが、謎は深まるばかりですね。
璉珹寺に開花するオオヤマレンゲ
マツリカ(茉莉花)と共に璉珹寺を代表する花がオオヤマレンゲ(大山蓮華)です。
蓮華とは言うものの、花の分類上はモクレン科に属します。吉野の大峰山で見られる花のようですが、ここ璉珹寺の本堂前にも咲いていました。
璉珹寺のオオヤマレンゲ。
やや下向き加減に、大きな純白の花を咲かせています。白に赤に黄色と、その配色も実にお見事です。数年前の5月に璉珹寺を訪れた時には咲いていなかった花です。念願かなって名物のオオヤマレンゲが咲いているところに出会いました。
本堂左手前、渡り廊下の脇に咲いていました。
もう見頃は過ぎていたのでしょうか、花の数はさほど多くはありませんでした。マツリカは境内の至る所に咲き誇っていましたが、オオヤマレンゲが咲いていた場所は、私が確認したところでは此処一か所のみでした。
お皿に水が張られ、オオヤマレンゲの花と葉っぱが浮かびます。
軒下の隅っこにさりげなくディスプレイされています。
本堂裏の和室で女人裸形阿弥陀仏の御袴を見学した後、係の方に促されるままに横に置いてあった大きな木魚をたたかせて頂きました。木魚は魚の姿を模していると言いますが、よく見てみると確かに魚の尾っぽのような模様が彫られていることに気付きます。魚は目を開けたまま休むからなのか、勤勉の象徴とされ、いつの頃からか木魚のモチーフになったと聞いたことがあります。
和室の中では奈良の風景画を楽しむこともできます。
花びらの縁が少し傷み始めているようですね。
やはり自然のままに咲いている姿が一番美しいです。
行基菩薩によって開かれた璉珹寺の歴史
璉珹寺縁起によると、このお寺は天平年間に聖武天皇の勅願で行基菩薩によって開かれたとあります。
近鉄奈良駅前の待ち合わせ場所で有名な、あの「行基像」の行基ですよね。璉珹寺の開基は行基菩薩であることを覚えておきましょう。その後、紀有常(きのありつね)が改めて伽藍を建立して再興したことに因み、紀寺(紀氏の菩提寺)とも呼ばれていたそうです。
秘仏開扉のポスター。
璉珹寺界隈の曲がり角や民家の壁に、女人裸形阿弥陀仏の特別拝観が案内されていました。秘仏開扉の期間は5月1日~31日までの一カ月間で、拝観時間は午前9時~午後5時となっています。
璉珹寺の山門前。
祈りの回廊の立看板が立っていました。
門前を南北に通る道を真っ直ぐ北へ辿れば、猿沢池や興福寺五重塔へアクセスします。この場所からも興福寺の五重塔が見えており、奈良の中心観光エリアもすぐそこです。璉珹寺の境内や周辺部からは奈良時代前期の古瓦が出土していることから、ここは紀寺の跡ではないかとも言われます。
そもそも、紀寺跡は奈良県高市郡明日香村小山にあったそうです。
創建当時は一辺226mもの寺域を持つ大寺院ではなかったかと推測されています。藤原京廃都に伴って、平城京の東南部に移転したと推定されます。まだまだ謎の解明には至っていませんが、時代を超えて壮大な歴史ロマンを感じさせてくれるお寺ではないでしょうか。
山門前に咲くマツリカ。
その匂いに誘われて璉珹寺を訪れる人も多いものと思われます。
璉珹寺の住所は奈良市西紀寺町45です。
地名の由来にもなっている紀寺との関係が見え隠れしますね。
璉珹寺は毎月開催される「京終さろん」の会場にもなっているようで、市井とのつながりを大切にされているご様子がうかがえます。
うん?
これがニオイバンマツリの蕾でしょうか。面白い形をしていますね。
璉珹寺の現在の宗派は浄土真宗ですが、以前は浄土宗だったり天台宗だったりと紆余曲折があったようです。本堂内陣には親鸞像も祀られており、ここが浄土真宗のお寺であることをうかがわせます。
由緒書の近くには地蔵石仏も祀られていました。
ここにもマツリカが咲いていますね。
この門をくぐると、正面に本堂が控えています。
即席の拝観受付所が見えていますね。ちなみに、璉珹寺の拝観料は400円でした。
昔ながらの日本家屋に5月の薫風が吹き抜けます。
初夏のお座敷は気持ちがイイものです。きっと外国人観光客もお喜びになられる空間ではないでしょうか。
休憩処と本堂をつなぐ渡り廊下に「つもりちがい十ケ条」なるものが掲示されていました。
仏の教えが分かりやすく案内されています。
高いつもりで低いのが教養 低いつもりで高いのが気位
深いつもりで浅いのが知識 浅いつもりで深いのが欲望
厚いつもりで薄いのが人情 薄いつもりで厚いのが面皮
強いつもりで弱いのが根性 弱いつもりで強いのが自我
多いつもりで少いのが分別 少いつもりで多いのが無駄
そのつもりでがんばりましょう
なるほど、身につまされるお言葉が並んでいますね。
勘違いしがちな私たちの習性が見事に見透かされているような気が致します。
この黄色い花は、璉珹寺に咲くというメキシコマンネングサ(万年草)でしょうか。
四角いテーブルの上にちょこんと活けられていました。
長押に取り付けられているのは衣紋掛けだと思われます。
U字型に斜め上方を向いていますね。あまり見られない形だけに、なぜか関心を寄せてしまいます。
女人裸形阿弥陀仏の左側の仏像は、そのお顔がメジャーリーガーのダルビッシュ有選手に似ていると噂される観音様です。
御本尊の向かって右側に安置される脇侍仏で、奈良時代の重要文化財に指定されています。
涼しい切れ長の目をした観世音菩薩立像。
カヤ材の一木造りで、像高は106.5cmとされます。璉珹寺の中では御本尊に次ぐ知名度を持つ仏像だと思われます。
休憩処に展示されていた奈良町絵図。
昔の奈良町の様子が手に取るように分かる古地図です。
手前左側の写真は、行基菩薩坐像です。
御本尊の向かって左側には勢至菩薩立像が祀られていて、その傍らに開基・行基菩薩が坐しておられます。行基菩薩の隣には聖徳太子立像、そして脇壇の前方には地蔵菩薩半跏像が安置されます。行基菩薩のお写真の右横が、ちょうどその地蔵菩薩半跏像に当たります。
花のあるお寺。
境内のあちこちで様々な花を楽しむことができます。
女人裸形阿弥陀如来が掲載された新聞記事ですね。
「救いを約束してくれる」と題されています。女人裸形阿弥陀仏は雲の上に乗って来迎する姿を表しています。時代は移ろえど、救いを求める人の心は変わりません。
璉珹寺の合掌観音像。
毎年4月1日には、阿波丸犠牲者の慰霊祭が執り行われます。
璉珹寺の年中行事は阿波丸慰霊碑の法要に始まり、春の専修念佛会(4月6日~11日)、一般拝観(5月1日~31日)、地蔵盆(7月23日・24日)、十五夜(9月、大人のお月見会)、秋の専修念佛会(11月6日~11日)、年越念佛会(12月31日~元旦朝)と続きます。
璉珹寺はマツリカやオオヤマレンゲなどの花の名所であり、女人裸形阿弥陀仏や観世音菩薩立像などに出会える仏像の宝庫でもあります。