行き方の分からない穴場感。それこそが、古墳見学の魅力と言ってもいいでしょう。
今回ご紹介する兜塚古墳は、そんな中でも比較的分かりやすい場所にある前方後円墳です。兜塚古墳を有名たらしめているのは、何と言ってもその家形石棺に使われている阿蘇ピンク石ではないでしょうか。
兜塚古墳の墳頂にある刳抜式の家形石棺。
左右に二つずつの縄掛突起が付いており、その素材は遥か九州から運ばれてきた阿蘇ピンク石とされます。
神秘的なパワーを持つ馬門石
阿蘇ピンク石は馬門石(まかどいし)とも呼ばれます。
かの有名な阿蘇山の噴火によって形成されたパワーストーンなのです。今から遡ること8~9万年に、噴火によって流れ出た火砕流が固まって出来たのが阿蘇ピンク石とされます。熊本県中央に位置する宇土(うと)市を産地とする馬門石ですが、なぜにまた遠い奈良の地まで運ばれて来たのでしょうか?
家形石棺の中。
石棺には穴が空いており、そこにカメラを入れて撮影することができます。棺の表面はさすがに風雨にさらされているためかピンク色を認めるのは難しいのですが、棺の中はややピンクがかっているのが分かります。特に蓋の裏側が桃色をしていますよね。
歴史の流れの中で言葉は変化していくものです。
転訛(てんか)と言われる言葉の変遷は、謎に満ちた馬門石にも見られます。馬門石(まかどいし)のマ音がミ音に変化し、いつの間にか帝石(みかどいし)と呼ばれていた時代もあったのかもしれません。大阪府高槻市の今城塚古墳に眠る被葬者は継体天皇ではないかとする説もあるようですが、その棺は見事なピンク色をしています。
謎は深まるばかりですが、果たして阿蘇ピンク石と身分の高い被葬者は結び付くのでしょうか。
先日のテレビ番組で視聴致しましたが、ガラパゴス諸島のウォルフ火山火口付近には、珍しいピンク色をしたピンクイグアナが生息していると言います。素人発想ではありますが、火山とピンク色は密接に関係しているのかもしれませんね。
桜井市浅古の兜塚古墳にアクセス
前方後円墳の兜塚古墳への道順をご案内致します。
大雑把にその位置を解説すれば、等彌神社と聖林寺の間ぐらいということになるでしょうか。
紅葉の名所・等彌神社を左手に見ながら、多武峰の談山神社方面へと向かいます。しばらくすると、忍阪と浅古を結ぶ道路へと出ます。そこの交差点にコンビニがありますので目印になると思われます。信号のある交差点を渡り、左手にコンビニを見ながらさらに南へ向かいます。ちょうどその辺りに浅古のバス停があります。右手には八坂神社の鳥居が見えていますが、そのまま緩やかな坂道を上って行きます。やがて右手に折れる道があり、そのまま右に曲がって道なりに進んで行きます。
すると、こんな感じの場所に出ます。
左手が目的地の兜塚古墳です。
兜塚古墳入口と書いた案内板が出ていました。
私有地のため、古墳見学以外の目的では立ち入りが禁止されています。あくまでも土地所有者の方のご好意で見学させて頂くことを忘れてはなりませんね。
兜塚古墳への入口です。
石段が付けられ、フェンスの間にアクセスルートが設けられています。
いよいよ墳丘上へと登って行きます。
ここからの階段はかなり急で、足元も不安定ですので注意が必要です。足を滑らせないように、一歩一歩着実に上って行きましょう。
墳頂に辿り着くと、すぐ目の前に家形石棺が姿を現します。
こんなに簡単に石棺を発見できるとは、ちょっと拍子抜けしたような感じになります(笑) 場所を示す案内板も設置されており、さらに墳頂へと続くルートも整備されています。兜塚古墳はとても見学しやすい古墳だと思われます。
家形石棺の開口部。
この穴は盗掘孔なのでしょうか。それとも、風化によって空いた穴なのか?
真冬ではありましたが、石棺の中には植物が茂っていました。
それにしても、阿蘇ピンク石に葬られた被葬者のことが気になりますね。兜塚古墳の埋葬施設は磚積状をしていたと言われています。前方後円墳のようですが、既に墳丘は開墾によって削られています。その形を確認することは、残念ながら今となっては不可能です。
切り株と家形石棺。
墳頂には幾つもの切り株が見られました。よく見てみると、家形石棺の反対側にも穴が空いているようです。
兜塚古墳は全長およそ50mの前方後円墳で、後円部径は約28m・前方部幅は25mの中規模サイズの古墳です。
阿蘇ピンク石の家形石棺が最大の見所なわけですが、出土遺物も発見されているようで、碧玉製管玉・琥珀製棗玉・銀製空玉・玻披璃製小玉・鉄鏃等があります。桜井市の兜塚古墳は、前方後円墳が終焉に向かう時代に築造されているようです。
かなり古い型の家形石棺ですね。
朱に塗られた石棺を斑鳩文化財センターで見たことがありますが、朱には魔除けの意味が込められているとのことでした。その点、わざわざ朱塗りにしなくてもピンク色をした阿蘇ピンク石は、それ自体で神秘的なパワーを持ち合わせていたのかもしれません。
棺の中には苔も見られますね。
苔生す棺。
築造年代は5世紀末から6世紀初めにかけてとされますが、その当時からずっと今まで、この石棺の中の空間は変わらないのです。そのことを思うと、奈良の歴史の深さを改めて感じさせられます。
桜井市浅古の八坂神社。
兜塚古墳の見学を終え、帰る途中に八坂神社の境内に立ち寄りました。
浅古周辺には兜塚古墳の他にも数多くの古墳が眠っています。秋殿南古墳、舞谷2号墳、こうぜ古墳群、メスリ山古墳、コロコロ山古墳、谷首古墳等々、その名前を並べてみるだけでも古墳の密集地帯であることがよく分かります。
<奈良県桜井市の古墳ガイド>