前方後円墳の出現を語る上では重要な古墳です。
纒向小学校の西に隣接する矢塚(やづか)古墳。
後円部径64mの前方後円墳で、周濠を持ち合わせています。周濠部の発掘調査において、幅23mの濠が確認されています。濠の中から多くの土器が出土しており、その周濠は後円部のみに巡らされていたようです。
南西方向から矢塚古墳の墳丘を望みます。
墳丘の向こう側に見えている建物は纒向小学校の校舎です。
土師器が出土した3世紀中頃築造の古墳
矢塚古墳の出土遺物の中には、庄内3式の土師器が挙げられます。
築造年代は、スタンダードな前方後円墳が出現する以前の3世紀中頃に相当します。矢塚古墳から150mほど東側には、3世紀前半~中頃の築造と考えられる纒向石塚古墳があります。古墳の形状もよく似ており、矢塚古墳と纒向石塚古墳は纒向型前方後円墳に分類されます。
東西に長い後円部。
矢塚古墳は前方部の短い纒向型前方後円墳にカテゴライズされています。
矢塚古墳(墳丘墓)の案内板。
墳丘の見取図と共に解説されていました。
全長93m以上の前方後円形の墳丘をもつ大型墳墓。発掘調査により後円部は南北約56m、東西約64mとやや東西に長い形態であることが判明しました。周濠状遺構より出土した土器などから、定型化した前方後円墳が出現する以前の3世紀中頃の築造と考えられています。
後円部径と前方部長の比率が2:1となる「纒向型前方後円墳」の一例であり、纒向石塚古墳とともに前方後円墳の出現を考える上で重要な墳墓であるといえるでしょう。
前方後円墳出現期を探る上では、歴史上欠かせない古墳のようです。
道路を挟んですぐ東側に、纒向小学校の校舎が建っています。
ここまで近いと、まさに児童たちにとっては ”生きた教材” ですね。
桜井市教育委員会による墳丘の見取図。
現在地が右端に示されていますね。
埋葬施設に関しては未調査のようですが、墳頂に板石が散乱しており竪穴式石室の存在が推し量られます。
矢塚古墳の墳丘には登ることができません。
どうやら私有地になっているようで、立入禁止の札が立っていました。
矢塚古墳から東田大塚古墳へ向かう途中、矢塚古墳の方を振り返ります。
古墳見学にはありがちですが、本当に何もありません。
埋葬施設を見学できるわけでもなく、古墳に興味のない人にとっては退屈な歴史スポットでしかありません。でも、墳丘の形を想像しながら歩くだけでも少しは来た甲斐があるというものではないでしょうか。