令和元年も終わりを迎えようとしています。
天皇即位の一連行事を終え、令和2年度の幕開けを待つばかりです。大神神社は天皇ゆかりの神社で、現在の上皇陛下・上皇后もお参りになられています。今から5年余り前のレポートですが、ここに記しておきます。
2014年11月17日の午前中、天皇皇后両陛下(上皇御夫妻)による大神神社御親拝が行われました。前日からお泊り頂いたお客様の中にも、参道で旗を振るために奈良入りされた方もおられ、その注目の度合いが計られます。
御親拝に備える大神神社二の鳥居前。
普段は見慣れた二の鳥居前も、この時ばかりは緊張モードに入っていました。一般参拝客が立ち入りできないように、厳重なガードが張られています。
親拝の意味
17日の朝にチェックアウトのお客様を送り出した後、自室で本を読んでいると、上空を飛ぶヘリコプターの音が聞こえてきました。
数年前に行われた箸墓古墳の立ち入り調査の時もそうでしたが、歴史的なイベントの際には、マスコミ関連のヘリコプターが静かな三輪の上空を駆け抜けます。
いよいよかなと思い、家を出て参道へと足を向けます。
JRの踏切手前にはセーフティコーンが並べられ、御親拝に備えた規制が張られていました。
少し話は反れますが、親拝(しんぱい)とはどういう意味を持つ言葉なのでしょうか。辞書で調べてみると、「天皇が自ら参拝すること」と記されています。この場合の親とは、天皇陛下ご自身のことなのかもしれません。
二の鳥居手前の参道左側で、天皇皇后両陛下の到着を待つ一般市民。
その昔、小学校の図書館で借りた本のことを思い出します。
木の上に立って、遊んでいる我が子をじっと見つめている親の姿。借りてきた漢字の解説書には、「親」という漢字の成り立ちが説明されていました。なるほど、「親」という字を分解すると、「木の上に立って、見る」と解釈できます。
国民を大御宝(おほみたから)と表現した天皇。親拝という言葉には、日本国の象徴である天皇は、私たち国民の親であるというニュアンスがどこかに感じ取れます。
明神踏切の所にも、警察官が陣取ります。
参道沿いで警備を担当しておられる方にお伺いすると、「ここを通過されるのは何時何分頃の予定です」といった具合に、具体的な情報をお持ちのようでした。分刻みのスケジュールというのは、まさにこのことなんだなと感じさせられます。
二の鳥居まで足を運んで、再び参道を引き返し、緊張感漂う道を大鳥居の方へ向かって歩きます。踏切周辺で待つことは禁止されているようで、立ち止まっている人は見かけませんでした。
一の鳥居へ折れる手前の参道沿いに、たくさんの人垣ができていたので、そこで天皇皇后両陛下のお車での通過を待つことにしました。本当に一瞬のことでしたが、天皇陛下のお顔を拝ませて頂くことができ、とても幸せな気分に浸りました。
大神神社の大鳥居は昭和天皇の御親拝を記念して建てられています。今回の平成天皇の御親拝記念はどういった形で表されるのでしょうか。参道の拡張計画も取り沙汰される中、今からとても楽しみですね。