山の辺の道の夜都伎神社

竹之内環濠集落から内山永久寺跡へ至る途上に、春日大社と縁の深い「夜都伎神社」というお社があります。

読み方は夜都伎(やとぎ)と読みます。別名「春日神社」とも呼ばれる由緒正しいお社です。

夜都伎神社拝殿

木立の向こうに夜都伎神社拝殿を望みます。

最近葺き替えられたばかりなのでしょうか、まだ真新しい藁葺屋根の拝殿が美しく映えます。数年前に夜都伎神社に参拝した時は、鄙びた感じの藁葺屋根でそれはそれで風情があったのですが、今日の境内は「常若(とこわか)の精神」で清新な空気に満ちています。

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天理市乙木町に鎮座する夜都伎神社

夜都伎神社の住所は、奈良県天理市乙木町765です。

乙木(おとぎ)と夜都伎(やとぎ)はお互いによく似た発音なので以前から気になっていたのですが、どうやら二つの名前には関連性があるようです。

夜都伎神社鳥居

式内夜都伎神社の社号標。

国道169号線からコンビニの角を東へ向かうと、朱色の鳥居が出迎えてくれます。ここからさらに東方を通る山の辺の道からは200mほど離れた場所です。通常ルートの山の辺の道ハイキングではお目にかかれない鳥居です。今回私は車で夜都伎神社へアクセス致しました。この鳥居の下を抜けて真っ直ぐ進むと、左手に夜都伎神社の社叢が見えて参ります。

駐車場は特に用意されていません。境内へと入って行く石鳥居の前に、普通車が数台停められる程度でしょうか。

夜都伎神社鳥居

鳥居の下に看板が出ていました。

” 事故防止のため車高2m80cm以上の車両の通行を禁じます 乙木町 ” と案内されています。鳥居の下をくぐり抜けるわけですから、確かに車高の高い大型車では通行不能となります。

看板にもある乙木町という地名ですが、乙木は小峠(ことげ)に由来していると言います。

乙木町エリアはお隣の竹之内環濠集落と同じく、少し標高の高い場所にあります。緩やかな峠の小峠(ことげ)が訛って乙木(おとぎ)に変化したのです。長い歴史の流れの中で、小峠(オトウゲ)から乙木(オトギ)に転訛した形ですね。

夜都伎神社鳥居

鳥居には駒繋ぎの環も見られました。

こういうのを見るだけでも、歴史の深さがうかがえます。

現在の乙木・竹之内付近は中世の乙木庄であったと言われます。

江戸時代には乙木村の東方に十二神社(「延喜式」夜都伎神社)と、西方には春日神社が鎮座していました。十二神社社地を竹之内三間(さんげん)塚池と交換したため、同村内の春日神社に合祀して夜都伎神社と改変した歴史があります。

奈良の歴史を知る「大和名所図会」によれば、江戸の享保時代には乙木明神と記されていることが分かります。かつては乙木(おとぎ)神社の名で通っていたわけですが、於都伎(おとぎ)の誤写によって夜都伎になったのではないかと思われます。草書体における「夜」と「於」がよく似ているために起こった間違いに端を発するのかもしれません。

夜都伎神社参道

鳥居を抜けると、真っ直ぐ道が伸びています。

両側に田園風景が広がり、その先の左手に H.A.M.A.木綿庵(ゆうあん)さんの建物が見えています。綿の畑で知られる木綿庵ですが、さらにその奥に夜都伎神社の社叢が視界に入ります。

夜都伎神社前の道標

夜都伎神社の近くまで来ると、山の辺の道の道しるべがありました。

この辺りからハイキングコースへと入っていきます。

左へ2.5㎞進めばパワースポットの石上神宮へ、右へ700m進めば竹之内環濠集落へとアクセスします。天理市内の山の辺の道にも見所がたくさん用意されています。南から北へ順に、萱生環濠集落、竹之内環濠集落、夜都伎神社、東乗鞍古墳、内山永久寺跡、石上神宮と続いていきます。

夜都伎神社と木綿

道標の近くに木綿庵さんのチラシと共に、綿の実が飾られていました。

木綿庵さんは畑で綿を育てていらっしゃって、畑の中を無料で見学することができます。夜都伎神社参詣の際は、是非お立ち寄りになられることをおすすめ致します。ちなみに綿は一年草で、5月上旬に種蒔きが行われ、収穫は9月~11月頃とされます。今回私が訪れたのは11月初旬でしたので、幸運にも綿の実を見ることができました。

夜都伎神社の歌碑

夜都伎神社の前に歌碑が建っています。

山の辺の道ははるけく 野路の上に 乙木(おとぎ)の鳥居 朱(あけ)に立つ見ゆ

高知県出身の日本画家・広瀬東畝(ひろせとうほ)の歌が刻まれています。「朱に立つ見ゆ」という表現からも、いかにも画家らしい写実的な発想がうかがえます。明治から昭和前期にかけて活躍した画家の東畝ですが、朱色の鳥居前に建つ社号標の裏側には大正の文字が見えました。朱塗りの鳥居自体は嘉永元年(1848)4月に奈良の春日若宮から下賜されたものと伝えられます。

夜都伎神社の鳥居は元来二基あったようです。現在の朱塗りの鳥居は二の鳥居で、一の鳥居はさらに西方の三昧田との境界にあったと云います。

夜都伎神社石鳥居

歌碑の近くに建つ石鳥居。

こちらの鳥居はおそらく最新のものでしょう。現在は朱塗りの鳥居に次ぐ、二の鳥居的な位置付けですが当初は無かったものなのかもしれません。あるいは三の鳥居としてこの場所に建ち続けているのでしょうか。

夜都伎神社の石段

鳥居をくぐって鬱蒼と生い茂る杜の中へ入って行くと、境内へと続く石段がありました。

石段の脇には何やら文字が刻まれています。

夜都伎神社の石灯籠

境内の石灯籠に「夜都伎神社」の文字が見えます。

正面に社務所、右手には藁葺の拝殿が佇みます。

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春日大社の四神を祀る夜都伎神社

夜都伎神社の御祭神は春日四神を踏襲しています。

武甕槌命(たけみかづちのみこと)、姫大神、経津主神(ふつぬしのかみ)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祀ります。

現在の夜都伎神社本殿も、明治39年に春日大社から移築されたものといいますからその関係の深さが伺えます。

夜都伎神社の手水石

左手に目をやると、「春日」と刻まれた手水石がありました。

この他にも、境内のあちこちに春日の文字が散見されました。

夜都伎神社拝殿

やはりこの神社は拝殿が見所の一つとなっています。

神社にこんなことを言っては失礼に当たるのかもしれませんが、田舎風情を漂わせる夜都伎神社の象徴でもあります。この拝殿は、かつての神宮寺であった十来子堂(十羅刹)のものと伝えられます。

春日大社との縁故が知られる夜都伎神社ですが、明治維新までは蓮の御供えと称する神饌を春日大社に献供していました。そして春日大社からは60年毎に若宮社殿と鳥居を下げられるのが慣例となっていたようです。

蓮の御供えと聞いて気付いたのですが、境内南側には池があります。その池の蓮の花がご神饌として供えられていたのでしょうか。

夜都伎神社拝殿前の石

拝殿前の石。

さしずめこれは礼拝石ですね。

拝殿前のちょっとした溝に太鼓橋のような石が渡されています。その先には一段高い石が置かれ、鈴緒を揺らすという参拝の流れです。拝殿前にこういった石が置かれているのも珍しいのではないでしょうか。

夜都伎神社

拝殿の中を覗くと、神気の蘇った拝殿の絵が額縁に収まっていました。

その先には本殿が控えています。

夜都伎神社社務所

こちらは拝殿斜め前の社務所。

神主さんでしょうか、お座敷で参拝客とお話をされていました。

夜都伎神社の鈴

拝殿には注連縄が張られ、そこに紙垂が掛かっています。

ここは結界・・・俗界と神界とを隔てる境界線です。

春日社

拝殿前の石灯籠にも「春日社」と刻まれていますね。

夜都伎神社の東方の山間部には、伝説の春日明神鹿足跡石(しかのあしあといし)があるそうです。さすがに今回の参拝では時間が無かったので確かめることができませんでしたが、いつか見学してみたいと思います。昔話に語られる伝説の石ですが、やはりこの目で確かめておきたいですよね。

夜都伎神社解説板

石鳥居の手前に解説板がありました。

天理市乙木町の北方集落からやや離れた宮山(たいこ山ともいう)に鎮座し俗に春日神社といい春日の四神を祀る。
乙木には、もと夜都伎神社と春日神社との二社があったが、夜都伎神社の社地を竹之内の三間塚池と交換して、春日神社一社にし社名のみを変えたのが現在の夜都伎神社である。
当社は昔から奈良春日神社に縁故深く、明治維新までは当社から蓮の御供えと称する神饌を献供し、春日から若宮社殿と鳥居を下げられるのが例となっていると伝える。
現在の本殿は明治39年(1906年)改築したもので、春日造檜皮葺、高欄、浜床、向拝彩色7種の華麗な同形の四社殿が末神の琴平神社と並列して美観を呈する。拝殿は藁葺でこの地方では珍しい神社建築である。鳥居は嘉永元年(1848年)4月奈良の春日若宮から下げられたものという。

夜都伎神社の境内社

拝殿向かって左側に祠がありました。

境内社の一つでしょうね。夜都伎神社には春日四神の他にも、琴平神社、八坂神社、鬼子母神社が祀られています。

牛頭天王社

さらに東へ入って行くと、本殿向かって左側に朱色の鳥居が建っていました。

おそらく境内社の八坂神社だと思われます。

牛頭天王の石灯籠

石灯籠には「牛頭天王」の文字が見えます。

そこから右へ視線を移すと・・・

夜都伎神社の六地蔵

小さなお地蔵様が六体祀られていました。

六地蔵でしょうか?可哀想なことに一体の首が取れてしまっています。

夜都伎神社の六地蔵

お地蔵様の前で手を合わせます。

穏やかな表情を見ていると心が和みます。

夜都伎神社本殿

塀越しに本殿の方向を望みます。

山型の三角形は鋸歯を模した鋸歯文(きょしもん)なのでしょうか。興福寺中金堂の再建現場でも目にした鋸歯文ですが、中金堂の瓦の紋様にも使われていました。目の前の黒い山型が鋸歯文なのかどうかは分かりませんが、邪悪なものを祓う霊力が感じられます。

夜都伎神社の藁葺屋根

藁葺屋根と本殿。

山の辺の道のガイドブックには夜都伎(やとぎ)神社と案内されていますが、違う文献によれば夜都伎(やつぎ)と読むこともあるようです。乙木(おとぎ)に夜都伎(やとぎ)に夜都伎(やつぎ)、なんだか混乱してしまいそうですが歴史ある神社にはよくあることです。

夜都伎神社の藁葺

鮮やかに蘇る藁葺屋根の拝殿。

これだけでも十分に鑑賞に堪えうる芸術作品です。

夜都伎神社拝殿

拝殿前に電線のようなものが見えるのが玉に瑕です。

やはりこの余計なラインは見えない方がいい(笑) 神主さん、これは致し方のないことなのでしょうか。

山の辺の道

竹之内環濠集落から夜都伎神社へと続く最終の直線コース。

突き当りに夜都伎神社の石鳥居が見えています。

手前の家の塀には、波頭と思しき瓦が天に向かっています。

夜都伎神社の周辺地図

夜都伎神社周辺の地図。

山の辺の道ルートにはこのようなマップが所々に用意されています。

これは便利ですね。山の辺の道と並行して南北に通る国道169号線も案内されています。今自分がどの位置にいるのか一目瞭然です。

夜都伎神社から北へ行けば、みかん狩りや粟餅付きで人気の天理観光農園へとアクセスします。あるいは少し山の辺の道から西へそれると、古墳時代後期の前方後円墳「西乗鞍古墳」があります。さらには大和神社を通る上街道コースへ足を向ければ、松尾芭蕉ゆかりの藤の棚が佇みます。

歴史と自然が満喫できる山の辺の道。

夜都伎神社はそんな山の辺の道のルート上に鎮座しています。

<山の辺の道の観光案内>

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