川西町結崎に鎮座する糸井神社。
川西町役場の近くに、延喜式内社の糸井神社があります。
糸井神社の御祭神は豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)です。第10代崇神天皇の皇女に当たり、天照大神の宮外奉斎の伝承で知られる人物です。
糸井神社の鳥居。
控柱(ひかえばしら)の付いた両部鳥居ですね。
鳥居の前には寺川が流れ、この辺りは繊維紡績の栄えた地域でもあったようです。
春日移しの本殿!広い社叢と池
糸井神社の本殿は”春日移し”によります。
春日移しとは、20年に一度行われる春日大社の式年造替において、建て替えられた旧社殿を近隣の神社に下賜し、移築していた習わしのことを言います。
糸井神社本殿。
かつては春日大社の若宮社本殿として祀られていたようです。
一つだけ前に突き出る格好で奉祀されています。おそらくこの社殿が、豊鍬入姫命を祀っているのでしょう。
整然と並ぶ糸井神社の石燈籠。
鳥居から拝殿までの距離は長く、神域の広さを感じさせます。
糸井神社の案内板が出ていました。
祭神 豊鍬入姫命
本殿 春日造檜皮葺
境内社 春日神社、大国主命神社(事代主命と合祀)、住吉神社、稲荷神社延長5年(927)にまとめられた「延喜式神名帳」に記載されている式内社で、本殿も江戸時代に春日大社から移建されたものです。結崎内の五垣内(市場・中村・井戸・辻・出屋敷)により祀られています。
毎年10月第4土日に秋祭(土曜宵宮、日曜本祭)がおこなわれ、氏子が輪番でつとめるトウヤ(当屋、頭屋)の行事は当屋相撲など格調高く、大和祭礼の中でも注目すべきものです。
当屋とは順番で回って来る係のようなもので、大和の祭礼ではよく耳にします。
そう言えば、春日若宮おん祭においても”影向の松”の傍に座る子供を「頭屋の児(とうやのちご)」と言いましたよね。いつか機会があれば、糸井神社の当屋相撲も見てみたいものです。
川西町役場に展示されていた木舟。
寺川、飛鳥川、曽我川などの河川が大和川に合流する地点にある川西町。水運に利用されていたものでしょうか。
拝殿内に掲げられる絵馬。
太鼓踊り絵馬やおかげ踊り絵馬など、糸井神社を訪れたらチェックしておきましょう。
拝殿の横。
竿のくびれが美しい石燈籠が建ちます。
境内には池もありました。
神社に池というだけで、それなりの雰囲気を醸し出します。
かなり奥まで社叢は広いようです。
同じ川西町内にある比売久波神社の本殿も「春日移し」とされます。
比売久波神社のすぐ隣りには、大きな周濠を持つ島の山古墳(前方後円墳)があります。奈良県内では比較的マイナーな川西町ですが、探せば色々発見がありそうですね。
拝殿前一対の狛犬と石燈籠。
ビシット決まっていますね。この位置に石灯籠を配するのは珍しいのではないでしょうか。
糸井神社の干支絵馬。
豊鍬入姫命で思い出すのが檜原神社・・・狭井神社から檜原神社へ向かう山の辺の道に、アマテラスゆかりの「同殿共床」が案内されています。
それまで宮中に祀られていた天照大神と大和大国魂神。
崇神天皇の御代、「同殿共床」の神威を畏れ、天照大神を皇女豊鍬入姫命に勅して倭の笠縫の邑に、さらには大和大国魂神を皇女渟名城入姫命に勅して大市の長岡岬に奉遷したと伝えます。
その後、天照大神は豊鍬入姫命から離され、垂仁天皇の皇女・倭姫命に託されました。各地を転々としながら、最終的には伊勢の地におさまったアマテラス。天照大神を初めて宮外で奉祀する際に登場する豊鍬入姫命。糸井神社で祀られるようになった経緯はよく分かりませんが、興味の尽きないところです。
三重県多気郡明和町には「麻續(おおみ)神社」というお社があり、そこにも豊鍬入姫命が祀られているようです。