寺川西側の結崎面塚公園。
公園内の東屋(あずまや)の奥に、面塚と呼ばれる能面の塚があります。
川西町の観光スポットとして知られる面塚。
塚と言うからには、この面塚もお墓を意味しているわけですが、能面の塚というところが面白いポイントになっています。この辺りの伝承によると、室町時代のとある日、空中から異様な怪音と共に寺川の畔に能面とネギが降って来たと伝えられます。
結崎ネブカの由来と観阿弥・世阿弥
川西町結崎はネギの産地として知られます。
葉ネギの在来品種である結崎ネブカは、柔らかくて甘みがあり、ぬた和えや鍋の食材として人気があります。大和伝統野菜の一つで、戦前はかしわのすき焼きなどに入れられていました。
面塚の由来。
糸井神社から寺川に架かる橋を渡って左に曲がると、「面塚の由来」と書かれた案内板がありました。
室町幕府の第三代将軍足利義満の保護の元、観阿弥・世阿弥父子による能楽が栄えた云々の文言が見えます。空から降って来た能面は、村人により手厚く葬られたと言われます。その場所が今の面塚であり、その地に植えられたネギが結崎名物の結崎ネブカなのだとか。
案内板から寺川沿いに南へしばらく進むと、右側に面塚へ降りて行く階段があります。
どうやら堤防から一段低い場所に面塚があるようです。
結崎面塚公園。
奥の方に舞台にも使えそうな東屋が見えますが、その背後に面塚が佇みます。
観阿弥の子である世阿弥は天才的な芸風で鳴らし、将軍義満からも「結崎に好き男あり。いわゆる世阿弥なり」と称賛されました。世阿弥が修行したという補巌寺は田原本町にあります。ここ川西町の面塚からもさほど離れていない立地です。
観世座は観阿弥・世阿弥親子二代の出現により、能楽完成に偉大な功績を残すことになります。
絵馬で有名な糸井神社。
糸井神社は寺川を挟んで、伝承に彩られる面塚と相対する観光名所の一つです。
糸井神社から徒歩1,2分の北東方向には川西町役場があります。油掛け地蔵、島の山古墳、比売久波神社など周辺観光に興味のある方は、もう少し足を延ばしてみるのもいいですね。
面塚古跡と刻まれた石碑。
時を遡ること室町時代、能楽観世流のルーツである猿楽「結崎座」は、ここ川西町結崎を拠点としていました。結崎座を代表する役者であった観世流創始者の観阿弥が住んでいた場所が結崎なのです。
面塚の右背後に建つ観世発祥之地碑。
新緑に囲まれて、日本が誇る芸能の歴史を今に伝えています。
太子道沿いの白山神社。
筋違道とも呼ばれる太子道沿いに、黒駒に乗る太子像が建立されています。
面塚の右側に目をやると、「諸人快楽」と刻まれた碑が建っていました。
川西町からも程近い奈良県桜井市には、聖徳太子にまつわる芸能創生の地と言われる土舞台がありますが、ここ磯城の里にも、日本芸能の故郷と呼べる面塚があることを心に刻んでおきたいと思います。