奈良県立民俗博物館の企画展へ行って参りました。
昔のくらし関連展で、「くらしの中の動物たち」と題するイベントです。その中で菖蒲(しょうぶ)に関する興味深い展示がありましたので、ここにレポートしておきます。
菖蒲打ちに興じる子どもたち。
奈良県立民俗博物館は、広大な敷地面積を誇る大和民俗公園の中にあります。毎年5月から6月にかけて、園内のしょうぶ園では花菖蒲を観賞することができます。実はこの日も見頃を迎えたであろうハナショウブを楽しみにしていたのですが、生憎の雨で博物館館内で多くの時間を過ごすことになりました。
厄払いの願いを込めた菖蒲打ちと菖蒲湯
館内の常設展「大和のくらし」を見終えた後、企画展のコーナーへと入って行きます。
動物をモチーフにした郷土玩具、そして動物との知恵比べの歴史に焦点を当てた狩猟用具や防虫用具、さらには養蚕や金魚養殖などに使われた道具を見学します。さらに順路に従って進んで行くと、端午の節句にまつわる様々な歴史資料が展示されるコーナーへと出ます。
冒頭の錦絵を解説する文章がありました。
錦絵「子どもあそび さつきの戯(たわむれ)」
明治初年(1868年)頃発行された錦絵。戊辰戦争の様子を、五月節供に菖蒲打ちや菖蒲刀で遊ぶ子どもの姿を借りて描いたもの。
「菖蒲打ち」とは、菖蒲の葉を三つ編みにしたものを地面に打ちつけ、音の大きさや強さを競い合うもの。菖蒲の葉で地面とたたくことで、厄を払い、地力を奮い立たせる。一種の呪術的な意味をもつという。
端午節供につきものの菖蒲。芳香が強く、古来薬草としても用いられたところから、転じて厄除けの効果があると信じられたのだろう。
明治時代の錦絵には、菖蒲打ちや菖蒲刀で遊ぶ子どもたちの姿が活き活きと描かれています。
そもそも菖蒲刀(しょうぶがたな)とは、菖蒲刀(あやめがたな)のことであり、ショウブの葉を束ねて作った刀のことを指しています。
5月5日の端午に童が腰に差した菖蒲刀は、後世には男児の初節句に飾った木刀のことを言うようになります。その刀の柄を菖蒲の葉で巻いたりして男児の健康を願いました。
さらに時代を遡れば、平安時代には菖蒲合(しょうぶあわせ)という遊びもあったようです。左右に分かれて菖蒲の根の長短を比較し、歌を詠って勝負を決したと伝えられます。
先の尖った長い菖蒲の葉は、見ているだけで刀の形を彷彿とさせたのでしょうね。子供たちがチャンバラごっこに興じる気持ちも分かるような気が致します。菖蒲打ちには厄払いの意味もあったと解説されていますが、確かに菖蒲はそのもの自体に薬効があることが知られています。
企画展のチラシ。
奈良県立民俗博物館の入館料は200円でした。
博物館の場所は大和郡山市矢田町で、あじさいで有名な矢田寺の近くにあるミュージアムとして知られています。笑い飯の漫才ネタとしても話題になっていますが、ネタにあるような人形は実際には存在しません(笑)
郷土玩具の張子鹿。
昔から奈良といえばシカだったのですね。
ところで、銭湯などで菖蒲湯に浸かったことがある方も多いでしょう。菖蒲の葉や根を浮かべたお風呂に浸かって、本格的な夏の到来に備えます。菖蒲特有の清々しい香りから、病気に効く薬草として親しまれてきた歴史があるわけですね。
中国では既に6世紀の文献に、その菖蒲湯の記載が見られると言います。
鎧兜の御前に菖蒲酒がディスプレイされていました。
菖蒲と蓬(よもぎ)を束ねて御神酒とする風習です。
菖蒲酒(しょうぶざけ)はショウブの根を刻んで浸したお酒とされます。
端午の節供に邪気払いとして飲まれました。こうして見ると、菖蒲といっしょに挿されるヨモギも香りの強い野草ですよね。香りのダブルパンチといったところでしょうか。いずれにせよキツイ香りや鋭い形状のものは、邪なものを寄せ付けないようです。節分の風習に見られる柊鰯(ひいらぎいわし)なども、その目的に適っているものと思われます。
鎌倉時代以降、武士階級の台頭とともに「菖蒲(しょうぶ)」が「尚武(武勇を重んじること)」に通じることや、菖蒲の葉の形が剣を連想させることなどから、端午節供を男児の節供としてその無事成長を祈る風習が生まれたといわれています。
江戸時代以降、その風習は次第に庶民に広まり、様々な要素を加えながら定着していきました。
昭和23年「国民の祝日に関する法律」によって、5月5日は男女の別なくこどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する「こどもの日」となりました。
解説パネルの写真にも案内されていますが、菖蒲とヨモギを束ねて屋根に載せると、邪気を祓うと信じられていたようですね。
菖蒲とヨモギの最強コンビで、鍾馗さん以上のパワーを発揮していたのかもしれません。
江戸時代の俳諧師・宝井其角は、次のような俳句を残しています。
銭湯を 沼になしたる 菖蒲かな
座布団一枚!って感じですね(笑) 一面に菖蒲の葉が浮いている様子が頭に浮かびます。
それにしても、なぜ5月5日が子供の日になったのでしょうか。
その由来を辿って行くと、中国の政治家・屈原の命日に行き着くようです。
楚王の側近であった屈原ですが、陰謀に巻き込まれて川に身を投げることになりました。非業の死を遂げた屈原でしたが、彼を慕う人たちが魚を太鼓で脅したり、ちまきを投げ入れて死体を食べさせないようにして守ったと伝えられます。ちまきが端午の節供に食べられるようになったのも、この逸話に由来しているのだとか。