東大寺二月堂の下手に、龍王の滝と呼ばれる聖水があります。
お不動さんが安置されており、滝の近くには松尾芭蕉の句碑があることで知られます。
龍王の滝。
滝とは言っても、大自然の中のほとばしるような滝ではなく、あくまでも人工的に設えられたような感のある滝です。そうは言っても、東大寺二月堂という場所柄からか、どこか俗なものを寄せ付けない清らかさが感じられます。
松尾芭蕉の句碑『水取りや籠りの僧の沓の音』
東大寺二月堂の修二会を聴聞したであろう松尾芭蕉。
芭蕉の足跡を辿ることができるのも、龍王の滝の見所の一つになっています。
龍王の滝の落ちて行く先はこんな感じです。
飲み水ではありませんので、観光客の方々は注意が必要です。
水のはね返る音が、”聖空間” を生み出しているような気がします。
東大寺二月堂からの眺め。
松尾芭蕉の句碑には、「水取りや 籠りの僧の 沓の音」と刻まれています。
野ざらし紀行に見られる芭蕉のこの句は、二月堂内の外陣にて、芭蕉自身がお水取りを聴聞した時の様子を歌っているのではないかと思われます。旅する俳人の松尾芭蕉には、奈良を詠んだ句も数多く残されています。
山の辺の道の内山永久寺跡には、「うち山や とざましらずの 花ざかり」という句碑が建っています。さらには、唐招提寺の鑑真和上に想いを馳せた「若葉して 御(おん)めの雫 ぬぐはばや」はあまりにも有名ですね。
松尾芭蕉は修二会の参籠にも立ち会っていたんですね。
籠りの僧の沓の音の「沓」とは差懸(さしかけ)と呼ばれる下駄のことで、お水取りの行法中に二月堂内で履かれます。爪先を厚紙で覆った松材の下駄の音からは、厳粛なお水取りの緊張感が伝わってきたのではないでしょうか。
龍王の滝の石標。
この標が無ければ、龍王の滝を見過ごしてしまう人も多いのではないでしょうか。
ちょうどスーパー銭湯の入口のように、その中が見えないような造りになっており、龍王の滝の前を素通りしてしまう観光客も少なからずいらっしゃいます。
東大寺二月堂を訪れたなら、龍王の滝を仰ぎ見られることをおすすめします。