奈良市来迎寺町の来迎寺を訪れました。
西山浄土宗に属するお寺で、快慶作の善導大師坐像(重要文化財)が本堂に祀られます。本堂裏手の100基にも及ぶ五輪塔群も見所の一つです。三陵墓古墳群史跡公園から西へ約1㎞ほどの場所にありました。
来迎寺本堂。
近年改修が施されているようですが、本堂の建立は貞応2年(1223)にさかのぼります。現在の本堂は奈良県指定文化財です。
多田来迎寺のご本尊は阿弥陀如来坐像!本堂裏の五輪塔群がおすすめ
お寺の名前からも西方の極楽浄土を思い浮かべます。
寺名は「来迎寺(らいこうじ)」と清音のようです。
最寄りの奈良交通バスの停留所は、「来迎寺(らいごうじ)」と濁っていました。ところが、お寺の住所を調べてみると、奈良市来迎寺町(らいこうじちょう)と清音です。おそらく「らいこうじ」で間違いはないでしょう。巷の浄土宗のお寺には来迎図が伝わりますが、その中心にいらっしゃるのは阿弥陀如来です。ここ都祁村の来迎寺のご本尊も阿弥陀如来坐像でした。
本堂右手に建つ宝塔。
十三重石宝塔ですね。石段を上がって行くと、二つのお堂と鐘楼が控えていました。
本堂裏手の五輪塔群。
およそ100基もあるようです。梅雨入り前の蒸し暑い時期ということもあり、蚊や蜘蛛の巣に悩まされながらの見学でした。
来迎寺の入口付近。
いい雰囲気ですね。
両側に石柱が建ち、並木に覆われた参道が続いています。行く手に本堂の屋根が見えます。
奈良交通バスの停留所。
今回私は徒歩で来迎寺を目指しました。三陵墓古墳群史跡公園で西古墳と東古墳を見学した後、一路西へ向かいます。甲岡池を左に見ながら北上し、小治田安萬侶墓にお参りして、再び来た道を引き返します。バス停の先に来迎寺の寺号標が見えていますね。
「善導大師」と刻みます。
善導大師は中国浄土教の僧と伝わります。この先の緑の杜が来迎寺のようです。
来迎寺前のトイレピクト。
善導大師の寺号標からしばらく歩くと、やがて右手に特徴的な建物が現れます。どうやら休憩所のようです。長閑な田園風景が広がるエリアに突如として現れる奇抜な建物。この場所に似つかわしくないような気もしますが、とにかく目立ちます。
脇にはベンチも置かれていました。
辺り一帯は散策コースにもなっているため、おトイレが必要です。トイレピクトのすぐ先が来迎寺の入口でした。
多田来迎寺の案内板。
来迎寺は、寺伝によると奈良大仏の造営にあたった行基の開創と伝えられています。永久2年(1114)には、この地の豪族多田満仲の一族、僧顕境が寺境を定め、貞応2年(1223)蓮阿が本堂を建立したものと言われ、本尊は平安時代に造られたとみられる阿弥陀如来坐像です。
奈良興福寺と深い関係にあり、鎌倉時代の当地の豪族多田一族や東山内衆の菩提寺として栄え、約100基におよぶ五輪塔群が残されています。
本堂には、鎌倉時代初期の仏師快慶作と伝えられる善導大師坐像が安置されており、国の重要文化財に指定されています。
また本堂裏には、大和にある古い宝塔の中でも一番の大きさを誇り、国の重要文化財に指定されている花崗岩製の石造宝塔があります。正面に刻まれた銘により、鎌倉時代後期延慶3年(1310)造立であることが判ります。
開基はかの有名な行基菩薩のようです。
来迎寺の本堂には、人気仏師の快慶が彫ったと伝わる善導大師坐像が祀られています。
国津神社や三陵墓古墳群も案内されています。
トイレピクトとは、先ほどの休憩所のことですね。本来、トイレのピクトグラム(男性用・女性用のトイレマーク)のことをトイレピクトと表現しますが、旧都祁村のこの辺りでは誰もが知る名称なのかもしれません。
雰囲気を盛り上げる参道。
石段の先に垣間見えるのは本堂です。
日本の原風景が広がる都祁村。
そこにひっそりと佇む多田来迎寺。清和源氏発展の基礎を固めたと伝わる源満仲(みなもとのみつなか)。源満仲の異称が多田満仲(ただのまんじゅう)であり、この地で栄えた豪族とされます。
山門下の地蔵石仏。
苔生した石仏が参道右手に並んでいました。
山門を額縁に、本堂を望みます。
とても静かな場所です。私以外に参詣者の姿は見られませんでした。
本堂左前に建つ墓石。
誰のお墓なのか、その辺りの情報は不明です。
山門脇の瓦に「来迎寺」の文字が浮かび上がります。
多田来迎寺には「涅槃山蓮城院」の呼称もあるようです。
境内そのものはそんなに広くありません。
本堂前には少しスペースがありました。
紫陽花が咲いています。
今年の近畿地方は梅雨入りが記録的に遅く、開花状況もイマイチなのかもしれません。
本堂脇にも案内板が掲げられていました。
現在の本堂は、寛永6年(1629)の再建とされます。重要文化財で玉眼の「木造善導大師坐像」が本堂内に安置されています。いつか特別拝観の許される日が来るのでしょうか。多田来迎寺には、その他にも当麻曼陀羅、地蔵十王図の一部などが伝わるようです。
石段の横に立札がありますね。
近づいてみます。
高野槇の保存樹。
この樹木は、奈良市巨樹等の保存及び緑化の推進に関する条例により指定された保存樹です。
この貴重な緑の財産を市民みんなで大切に守りましょう。樹木の種類:コウヤマキ
幹周 :250cm
樹木の高さ:21.0m
お堂の前に立つ、この木がコウヤマキでしょうか。
立派な巨樹です。
石段を上がった右手には鐘楼が控えています。
除夜の鐘なども撞かれるのでしょうか。
釣鐘の下に「卍」。
これは珍しいですね。
さらにその左手に小さなお堂がありました。
格子戸の奥に仏像が祀られています。
お地蔵さんでしょうか。
円光の光背を背負います。
本堂真裏の五輪塔群へ足を向けます。
一番大きいものが重要文化財の宝塔でしょうか。
ずらりと並ぶ五輪塔群。
かつてこの辺りは藤原氏の荘園だったこともあり、多田来迎寺は奈良の興福寺と関係が深かったと言います。
これらの五輪塔群は、鎌倉時代に興福寺と所縁のあった豪族多田一族や東山内衆(ひがしさんないしゅう)の墓碑として建てられたようです。歴史の波に揉まれながら、今に息づく五輪塔です。
約100基にも及ぶ五輪塔群。
なかなか見られない光景です。
おっ、これが最も大きい五輪塔でしょうか。
御前には卒塔婆が立て掛けられていました。
来迎寺の瓦と本堂。
かつての都祁村まで足を延ばす機会はそう多くありませんが、必ずお参りしておきたいお寺ですね。
帰り道の参道。
木漏れ日が心地いい!
五輪塔を彫り込んだであろう板状石。
さりげなく入口付近の木にもたれ掛かっていました。
東方から多田来迎寺を望みます。
田圃と田圃の間に伸びるこの真っ直ぐな道も、「来迎寺の参道」と言えるのではないでしょうか。
その証拠に、来迎寺の北東方向にも「右 多田山」と記す石標が立っていました。
善導大師坐像こそ拝観が叶いませんでしたが、鎌倉時代にタイムスリップしたような五輪塔群や並木道の参道など、なかなか見所の多いお寺だと思われます。三陵墓古墳群史跡公園、都祁水分神社などとのセット見学をおすすめ致します。