安堵町窪田。
近くを流れる大和川よりも海抜の低い湿地帯です。安堵町は川が合流するポイントであり、工場や田圃が多く見られます。窪田という地名も、その地形に由来するのでしょう。昔から川の氾濫には悩まされた地域だと思います。
安堵町窪田の杵築神社。
拝殿には絵馬や天狗面が掲げられていました。その奥に覗くのは、春日移しの本殿です。
大字窪田には2つの杵築神社があり、今回訪れたのは中窪田の杵築神社です。下窪田にも杵築神社が鎮座しているようです。御祭神は素戔嗚尊でした。
聖徳太子像の背後に鎮座!春日移しの本殿と平安時代の十三重層塔
中窪田杵築神社のある場所ですが、聖徳太子像の背後に当たります。
ドでかいオブジェで知られる案山子公園の聖徳太子像。北西の法隆寺の方向を向いています。
こんな感じ。
聖徳太子の背後に見える社叢が、中窪田杵築神社です。この位置取りからも、杵築神社を語るには太子像は外せませんね。
中窪田杵築神社の鳥居。
吐田(はんだ)、窪田は水つきどころ。嫁にやっても、荷はやるな。
そんな風に言われていた場所です。南吐田環濠集落の記事でもご紹介しましたが、洪水との歴史が語り継がれる地域です。結崎もよく似たエリアで、河川との付き合いの長い場所だと分かります。
スサノオには暴れん坊のイメージがありますが、それだけ強い神様です。川の氾濫という大厄を祓うには、素戔嗚のパワーが必要だったのかもしれませんね。
杵築神社の由緒略記。
当社創建は、寿永2年辰4月卯の日(1178年)と記録にあり、現神社は昭和35年大和川改修により当地に移転、御本殿は春日式にて文化年間に春日大社若宮旧本殿を拝領の物である。境内には推古式古代人造の塔が現存。きわめて古風で平安時代の造立説がある。
推古式古代人造の十三重層塔。
平安時代の造立説がありますが、現在は崩れて七重になっています。梵字が刻まれていますね。
聖徳太子像の背中。
前方に見える建物は、安堵中央公園体育館です。
車でアクセスする際は、中央公園の駐車場を利用するのがいいでしょう。そのまま真っ直ぐ北へ向かえば、安堵町の中心観光エリアです。極楽寺や飽波神社、安堵町歴史民俗資料館なども徒歩圏内です。
中窪田杵築神社の拝殿。
結構ワイドな造りですね。狛犬と燈籠を配し、参拝客を出迎えます。
手水処の龍と十三重層塔。
奥の方に小さなお堂が見えます。
境内の小堂。
背後には水田が広がっていました。聖徳太子像はこの左奥です。
前に迫り出す“向拝”のような箇所も設けられています。
天狗のお面。
神社祭事に使われるのでしょうか。本殿塗替え工事完成の奉納札も多く見られました。
奉納絵馬も見所の一つですね。
昔話のワンシーンだと思われます。
安堵町コミュニティバスの窪田バス停。
杵築神社の北を東西に道路が走っています。
奈良県民でもあまり足を運ばない安堵町界隈ですが、面白い発見がありそうです。マイクロツーリズムのお手本の一つになるかもしれませんね。