箸中長者屋敷跡のネズミモチ

日本昔話にも出てくる『箸中長者』。

今も箸墓古墳の後円部東に箸中長者屋敷跡があります。屋敷跡と言っても田圃があるだけなんですが、その中に不思議なネズミモチの木が植わっていました。

箸中長者屋敷跡のネズミモチ

ネズミモチの木。

ちょうど遮断機の音が鳴って、JR万葉まほろば線の電車が通り過ぎます。

木の周りだけ”区画整備”されたような空間ですね。

不思議なことにこのネズミモチは、何年経っても枯れもせず大きくもならないそうです。その謎やいかに?

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弘法大師の大黒天!御利益を授かった箸中村の清助

この日、私はツクロ塚古墳とツヅロ塚古墳の場所を確かめるため、茅原から箸中エリアを目指していました。

ツクロ塚古墳の北方に空地があり、そこに箸中区自治会による散策案内が出ていました。目を凝らしてよく見ると、「箸中長者屋敷跡」と書かれていることに気付きます。えっ!そんな屋敷跡があったかなと思い、解説文を目で追いました。

箸墓古墳とネズミモチの木

箸墓古墳とネズミモチ。

後円部に西日が当たり、ネズミモチの木を神々しく照らし出します。

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日本昔ばなしに出てくる”箸中長者”は造り酒屋を営む人物で、贅を尽くし没落していく過程が描かれています。

食事の後も、使った箸をどんどん捨てて”箸の山”が出来てしまったとか・・・決してハッピーエンドの話ではありません。ところが、このネズミモチの木に由来する箸中長者は、質素倹約を旨とする慎ましい人物だったようです。

今でこそ天皇陵に指定され”立ち入り禁止”の箸墓古墳ですが、昔は墳丘上にお茶屋さんがあったとも言われます。前方部と後円部を斜めに突っ切る近道もあり、周辺住民が日常的に使っていました。

箸中長者屋敷跡の周辺地図

箸中長者屋敷跡の周辺地図。

長者屋敷跡の北には、壬申の乱古戦場もあるんですね。

東に国津神社、南に織田小学校(芝陣屋跡)の位置取りです。西の方には箸中イヅカ古墳と記されていますが、おそらく埋没古墳でしょう。

国津神社のささゆり

国津神社にはササユリが咲いていました。

訪れたのは5月20日過ぎでしたが、割と早く開花するようです。

箸中長者屋敷跡のネズミモチ

箸中長者屋敷跡のネズミモチの木。

南から北を向きます。

生垣などによく見られ、初夏には花序の多い白花を咲かせます。遠目だったためか、花は確認できませんでした。晩秋になると、黒紫色の小さな実を付けます。この実がネズミの糞に似ているため「ネズミモチ」と名付けられています。

箸中長者屋敷跡の解説

箸中長者屋敷跡の解説。

松尾寺縁起に起因するらしい。箸中村の清助は貧しいが信仰心が篤かった。それを聞いた弘法大師は自作の大黒天を彼に与え、さらに信仰心を深めた清助は長者になったという話である。その屋敷跡にはネズミモチの木が植えられていて、今にも元気に立っている。何年経っても枯れもせず大きくもならない。

弘法大師空海作の大黒天。

清貧生活を送っていた清助に届けられた大黒天には、弘法大師の想いが詰まっていたのでしょう。三輪山に鎮まる大物主命とも重なりますね。大物主と大黒天は同一視されます。三輪山を東に仰ぎ見る場所に、箸中長者は暮らしていたのですね。

ネズミモチとシロツメクサ

シロツメクサとネズミモチの木。

ネズミモチは常緑高木で、モクセイ科イボタノキ属に分類されます。萌芽力の大変強い植物のようです。

箸中長者屋敷跡のネズミモチ

こんな所に箸中長者屋敷跡があったとは思いもしませんでした。

近場の再発見が続く日々・・・これもコロナショックの副産物ですね。負の側面ばかりがクローズアップされますが、プラスに転換する好機かもしれません。遠い観光地よりも近くの穴場。意外とたくさんあるものです。灯台下暗しや宝の持ち腐れとは、もうおさらばしましょう。

国津神社のササユリ

レイライン上に鎮座する国津神社。

社殿の裏には径15mの円墳があるようです。宮ノ前古墳と呼ばれ、墳丘上には大きな石が三つ確認できます。

上街道の解説

上街道の解説。

古代から続く上ッ道を引き継ぎ、奈良と桜井を結ぶ街道である。奈良の猿沢の池から桜井の慈恩寺までつながっている。平安貴族の長谷寺参り、近世の伊勢へのおかげ参りと多くの人々が行き交った。
※壬申の乱古戦場 日本書紀 天武天皇上元年7月の条「三輪(みわの)君(きみ)高市(たけち)麻呂(まろ)、置始連莵(おきそめのむらじうさぎ)、上道に当たって、箸陵のほとりで戦う。大いに近江軍を破り・・」

古来より賑わった上ツ道。

歴史の転換点でもあった壬申の乱ですが、その古戦場にもなっていたようです。

箸中長者屋敷跡のネズミモチの木

ポツンと一軒家(^.^)

箸中長者を称えるように、その緑を保ち続けるネズミモチの木。

なんだかホッとする一コマですね。

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