大官大寺跡@明日香村小山

大官大寺は奈良市大安寺の前身寺院とされます。

飛鳥最大の寺院と言われる大官大寺ですが、今はその面影を見ることはできません。大官大寺の回廊は非常にスケールが大きく、創建当時の東大寺にも匹敵したそうです。その巨大な塔基壇には、天を衝くような九重塔が聳えていました。

大官大寺跡

「大官大寺塔址地」と刻まれる石標。

石標の周りは何もありません。田畑が際限なく広がっており、遠く南東方向には多武峯の山々を望みます。北に天の香具山、東に山田寺跡、南に飛鳥寺、西には紀寺跡が控えています。私は今回、水落遺跡前の駐車場に車を停めて大官大寺跡を目指しました。進行方向の北に天の香具山を見ながら、長閑で気持ちいい飛鳥周遊歩道を歩きます。ひたすら真っ直ぐコースを辿るだけです。初めての方でも迷うことはないでしょう。

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舒明天皇発願の百済大寺

大官大寺の歴史ははっきりしていません。

しかしながら、その創建は百済川の畔に九重塔を建て百済大寺(くだらのおおでら)としたことに始まると伝えられます。広陵町百済にある、三重塔が美しい百済寺は百済大寺の後身とされます。お寺の歴史って、色々と複雑ですよね。遷都などを絡めながら、あちこちに移転する動きを見せています。

雷丘

大官大寺跡のアクセスルート。

桜井方面から飛鳥方面へ向かう道です。

行く手に雷丘が見えていますね。車道を横断して、ここを右手(北へ)に入って行きます。

天の香具山

こんな道を進んで行きます。

正面に見えているのが天の香具山です。仕切りブロックの右手は水路になっていますので、歩行者は左側を歩くように致しましょう。左右には遮るものがほぼ何もありません。お天気の良い日などは、実に気持ちのいい散策コースとなっています。

雷丘と畝傍山

左に目をやれば雷丘、さらにその向こうには畝傍山も見えています。遥か西方には二上山と、大和平野の贅沢な景色を堪能することができます。

飛鳥周遊歩道

ここは飛鳥周遊歩道。

時折犬の散歩をする人や、健康ウォーキングに勤しむ人たちと出会います。

大官大寺跡は明日香村小山と橿原市南浦町にまたがっていますが、そのほとんどを明日香村が占めているようです。金堂と塔の基壇が今も残されており、近年発掘調査された桜井市吉備の吉備池廃寺が、百済大寺に当たると推測されます。その後、天武天皇の時代に移築、改称されています。

大官大寺跡の解説パネル

塔跡を示す石標の横に、大官大寺の解説パネルがありました。

大官大寺は、『日本書紀』『大安寺伽藍縁起』などの文献資料に「だいかんだいじ」あるいは「おおつかさのおおでら」と記されているが、その実態は明らかではない。大官大寺は百済大寺(吉備池廃寺)から高市大寺、大官大寺、そして大安寺と移転しながら変遷することが記録にあるが、高市大寺については定かではない。

昭和48年からの発掘調査により、中門・金堂・講堂が南から北へ並び、中門と金堂をつなぐ回廊の中の東部に塔を配する伽藍配置であることが明らかになった。

回廊で囲まれる範囲だけでも東西144m、南北195mの大きさになり後の東大寺の創建当初の回廊規模と同じであり、塔は基壇の規模から、九重であったことが推定されている。大官大寺は文字通り飛鳥最大の寺院である。

東大寺にも匹敵する規模であったことが記されます。

東大寺には高さ100mにも及んだという七重塔の存在が知られていますが、大官大寺の塔はナント九重塔だったのですね!お寺の名前に「大」の字が重ねて使われていますが、その偉容を表したのでしょう。東大寺の塔は東西にそびえていたようですが、大官大寺の塔は金堂の南東方向に一つだけ建っていました。東回廊の内側に、天を衝くような勢いで建っていたであろう伝説の塔。その雄姿を是非この目で見てみたかったですね。

大官大寺跡のアクセスルート

ひたすら天の香具山方向を目指して歩きます。

観光ガイドブックなどにも載っていませんが、このウォーキングコースはとても贅沢です。日本の原風景を心ゆくまで楽しむことができます。大官大寺跡の見学には、この素敵な散策が付いてきます。これは行くしかないですね。

大官大寺塔跡と三輪山

ようやく右手に塔址らしきスペースが見えて参りました。

広場の片隅には石標も建っています。遥か北東方向には秀麗な三輪山を望みます。橘寺の門前から見た「大鳥の羽替の山」をここでも確認することができました。果たしてこの大鳥の羽替の山が飛鳥の地名由来なのか定かではありませんが、歴史ロマンを掻き立ててくれる瞬間です。

大官大寺塔跡と天の香具山

大正2年3月に建立されたようですね。

当時は「飛鳥村」と表記したのでしょうか。

大官大寺塔跡と天の香具山

天の香具山の手前に石標、さらにその手前に大官大寺塔跡が広がります。

中門、金堂、講堂が南北一直線上に並び、塔だけが中門から見て北東方向に建立されていました。特異な形を印象付ける大官大寺式伽藍配置です。大官大寺はまた、主要伽藍のほとんどが焼失した痕跡を留めていることでも知られます。

金堂と中門の垂木(たるき)が焼け落ちて、地面に突き刺さった後もなお燃えていたことが判明しているようです。その造営手順は金堂、講堂、塔、中門・回廊の順番だったようですが、平城遷都後に造営途上のまま焼失しています。『扶桑略記』和銅4年(711)条の焼亡記事を裏付ける痕跡が痛ましくも語られています。

大鳥の羽替の山

神体山の三輪山。

大官大寺塔跡から三輪山を望みます。この場所に九重塔が建っていたのであれば、三輪山も少しは意識されていたのかもしれませんね。

大官大寺伽藍配置図

大官大寺の伽藍配置が案内されていました。

発掘調査で見つかった藤原京条坊の伽藍は、文武朝期の大官大寺と見られます。その後、平城京遷都に伴って移建され、今の大安寺となります。

史跡大官大寺

史蹟大官大寺址。

広大な空間に身を置き、西方向を望みます。

史跡大官大寺

今度は北方向。

行く手に天の香具山を望みます。

今は癌封じの笹酒まつり「光仁会」で知られる大安寺ですが、その歴史を辿ればこの地に行き着くのですね。

飛鳥の道案内

飛鳥周遊歩道に埋め込まれた道案内。

西方には紀寺跡があります。

紀寺跡の所在地も明日香村小山ですが、百済大寺(吉備池廃寺)の後身である高市大寺(たけちのおおでら)の候補地の一つになっています。

文武天皇の御代に完成を見たという金堂や九重塔。

明治中期まではその礎石も残っていたと言います。ところが、明治22年の橿原神宮造営の際に運び出されてしまいました。仏教が興隆していた飛鳥にあって、間違いなく最大の寺院だったのです。礎石を失ったことは大きな痛手ですね。今は土壇を残すのみとなってしまいました。

飛鳥の最盛期を支えていたであろう大官大寺の足跡を探るため、あなたも飛鳥周遊歩道を歩いてみませんか?