飛鳥の猿石を見学して参りました。
場所は近鉄飛鳥駅から国道169号線を挟んだ北東方向に当たります。欽明天皇陵近くの吉備姫王墓域内にひっそりと佇む4体の石像。謎に包まれたミステリーストーンをご案内します。
猿石(山王権現と女)。
吉備姫王墓の真正面に立ち、さっと左側に目をやると、柵の中に山王権現と女の姿が垣間見えました。4体の猿石は左側から順に女、山王権現、僧(法師)、男と並んでいます。
ユニークな猿石のモデルは渡来人なのか!謎を呼ぶ石造物
猿石と言うからには、そのモデルは猿なのかと思いきや ”人の顔” を思わせます。
性器を彫ったものもあり、どうやら渡来人がそのモデルになっているのではないかと言われています。
鬼の俎・雪隠古墳から飛鳥周遊歩道を経由して、お目当ての猿石へとアクセスします。
その途中、道の右側に欽明天皇陵を背にしてヒマワリの花が咲いていました。欽明天皇陵は明日香村唯一の前方後円墳として知られています。
吉備姫王墓と猿石を案内する道標。
写真の向こう側には、鬼の俎・雪隠古墳や天武・持統天皇陵が佇みます。
ここを曲がれば、いよいよ目的地の猿石に到着します。
民家の背後に、こんもりと生い茂っている場所が吉備姫王墓です。
吉備姫王墓の柵。
吉備姫王墓の所在地は、奈良県高市郡明日香村大字平田です。近鉄飛鳥駅からの距離は500mほどで、徒歩での所要時間も5~6分といったところでしょうか。
猿石との出会いに期待が高まります。
宮内庁の通達が見えますね。
どうやらここから先は、自転車での乗り入れが禁止されているようです。明日香村散策ではおなじみのレンタサイクルですが、この先は自転車を降りて見学するようにしましょう。
吉備姫王墓。
ぐるりと柵の外を周り込むと、吉備姫王墓の正面に出てきます。
吉備姫王は、欽明天皇の孫に当たります。孝徳天皇と皇極(斉明)天皇の生母でもあることを考えると、飛鳥の歴史、ひいては日本の歴史にとって欠くことのできない人物であることが分かります。
飛鳥駅を挟んで線路と反対方向にある牽牛子塚古墳を見学した時のことを思い出します。斉明天皇陵と特定された牽牛子塚古墳。天皇の系譜を頭に描きながら飛鳥観光を楽しんでみるのもオススメです。
向かって一番左側に位置する女。
ぱっと見た印象では、4体の中で最も猿に近い顔立ちのような気がします。
胸に見えているのは乳房でしょうか。ここから南東約5㎞の高取城址にも、いかにも猿らしい容貌の猿石が存在します。高取城築城の際に石材として持ち運ばれた物だと言われていますが、元を辿れば同じ起源を持つ猿石なのかもしれません。
左から二番目、女の横に位置する山王権現。
口元を見てみると、微笑んでいるかのようにも見えます。
背中が妙に盛り上がっています。
実は背面にも像が彫られているのだそうです。
柵によって立ち入りが制限されているため、猿石の背中を確認することはできません。ご興味のおありの方は、飛鳥資料館の前庭にディスプレイされている猿石のレプリカをご覧になられることをおすすめ致します。複製ではありますが、しっかりとその背面を見学することができます。
吉備姫王墓の向かって右側に佇む法師(僧)と男。
背中に像が彫られているのは山王権現のみならず、男や女の背中にも彫刻の跡が見られます。
法師にだけは背骨のようなものが彫られています。聖徳太子生誕の地と伝えられる橘寺境内にも、観光客の人気を集める善悪両方の顔を併せ持つ二面石がありますが、猿石も二面石であることをご存知の方はそう多くはないのではないでしょうか。
左から三番目の法師。
手を前に組んで坐しています。笑みをたたえた口元の周りに見えるのは皺でしょうか。
吉備姫王檜隈墓(きびひめのみこ ひのくまのはか)。
墳形は円丘で、お墓の前には畑が広がっていました。
左から四番目、一番右側に位置する男。
突き出た頭の格好は陰陽石を思わせます。
飛鳥祝戸地区のマラ石ほど如実ではありませんが、どこか男根を想像させる形をしています。
欽明天皇陵と吉備姫王墓との間にちょっとした広場がありました。
向こうに見えているのが吉備姫王墓です。
猿石見学を終えて、来た道を引き返します。
柵の見える右手が吉備姫王墓(猿石)で、正面の濠に囲まれた鬱蒼とした杜が欽明天皇陵です。
石舞台古墳、酒船石、人頭石、亀石、亀形石造物、二面石、立石、くつな石、益田岩船などに加えて、飛鳥の謎の石造物には微笑ましい表情の猿石も存在することを覚えておきましょう。