国指定史跡の屋敷山古墳を訪れました。
とある秋の休日、パワースポット高鴨神社を目指して葛城方面へ車を走らせます。大和高田バイパスを下りて県道30号線を南へ向かっていると、右手に屋敷山公園が見えてきました。今回の目的地はあくまでも高鴨神社だったので、そのまま素通りして帰り際に立ち寄ることにします。
葛城山麓の屋敷山公園は、総面積約5万8千平方メートルの総合史跡公園として整備されています。古墳周辺が公園として整備されている点では、馬見丘陵公園とも性格を一にしていますね。
屋敷山公園の池の畔に百日紅の花が咲いていました。
訪れたのは9月半ばでしたが、この時期でもまだ花が残っているんですね。サルスベリは「百日紅(さるすべり)」と書くだけあって、その花期の長いことでも知られます。
古代豪族葛城氏の首長墓(前方後円墳)
屋敷山古墳は全長135m以上の前方後円墳です。
築造年代は西暦470年頃とされ、古代豪族の葛城氏に関係する古墳と言われます。葛城市最大の前方後円墳ですが、江戸時代に陣屋が築かれていたこともあり、残念ながら既にその墳形は崩れています。
屋敷山古墳の特徴ですが、竪穴式石室に長持形石棺が納められていたと言います。
屋敷山古墳の墳丘復元図。
後円部径約77m、後円部高約15m、前方部幅約90mと案内されています。
古墳時代中期に築造された屋敷山古墳なのですが、戦国時代になると領主・布施氏の館がこの場所に築かれました。さらに、江戸時代には大名桑山氏の陣屋が築かれた歴史があります。時の権力者から見れば、立地的に大変魅力的な古墳だったのではないでしょうか。
大名の桑山氏と言えば、関ヶ原の合戦が思い起こされます。
徳川方に付いて大名に取り立てられた桑山一晴。
歴史を物語るせっかくの巨大前方後円墳だったのですが、桑山氏は古墳の全構造を利用して陣屋を築くことになります。墳丘復元図を見ても分かりますが、古墳の周囲には濠も見られます。桑山氏はこの濠も、お城の掘として利用したそうです。
屋敷山古墳後円部の墳頂付近。
屋敷山古墳は墳丘に登ることができます。屋敷山公園の池の畔から、こんもりと盛り上がる墳丘を登って行きます。階段も整備されていて、ほんのわずかの時間で頂上に辿り着きます。
木立も見られ、辺りはとても静かでした。
特に目立ったものもなく、ただただ自然体でそこに存在していました。少しだけ視界は開けていますので、景色を楽しみながら時間を潰すのもいいかもしれません。
ちなみに屋敷山古墳の名前の由来ですが、中世以降ここに布施氏の居館があったり、桑山氏が陣屋を築いて周辺に屋敷を構えたことに由来しています。屋敷を構えたから屋敷山古墳、実に分かりやすい命名です。
墳丘へ続く階段脇に、毒蛇注意の案内がありました。
コミカルに描かれている毒蛇ですが、笑い事ではありません。見学者には十分な注意が必要ですね。
アクセス道には小さな花も咲いていました。
石室の天井石が屋敷山公園内に置かれているようなのですが、残念ながら私は見つけることができませんでした。比較的遺物の少ない屋敷山古墳だけに、その貴重な名残を見ておきたかったですね。ちなみに長持形石棺の部材は、近くの葛城市歴史博物館に展示されています。見学希望の方は、是非一度葛城市歴史博物館を訪れてみて下さい。
新庄城跡の石柱が建つ屋敷山公園
屋敷山古墳のある屋敷山公園ですが、様々なイベントでも利用されているようです。
最近では屋敷山公園の駐車場で、日本クラシックカーラリーが開催されました。葛城市を起点に、奈良県内の約130㎞走行するというラリーイベントです。往年のクラシックカーから最新のスーパーカーまで、バラエティに富んだ車両が大和路を駆け抜ける人気イベントです。数年前にも大神神社周辺に芸能人の近藤真彦(マッチ)さんが来たということで話題になったイベントですね。
これは屋敷山公園のオブジェでしょうか。
何を表しているのか分かりませんが、思わず写真に収めたくなるインパクトがありました(笑)
緩やかな階段が続いています。
屋敷山公園敷地内には屋敷山古墳はもとより、グラウンド、公民館、体育館、図書館等があり、文化・スポーツの活動拠点にもなっています。毎年5月には公園まつり、さらに7月には納涼花火大会が行われる会場となります。
緩やかなカーブを描く太鼓橋に鳩が群れていました。
橋の近くに鯉のエサを販売する自販機がありましたので、おそらくそのおこぼれを頂戴しに来たのでしょう。
私はエサを手にしていませんでしたが、橋の上を通りかかるだけで口をパクパク!
条件反射なのでしょうか、おびただしい数の鯉が私めがけて集まって来るではありませんか(笑) 思わず身を引いてしまいました。
橋を渡ってしばらく進むと、「新庄城址」と刻む石標が建っていました。
これを目にした時、こんな所に昔お城があったのかと半信半疑でしたが、屋敷山古墳の歴史を知る過程で納得した次第です。
大奥、御蔵、台所等々の城の見取り図が案内されていました。
城の俯瞰図になっていますが、その輪郭には前方後円墳の名残が感じられます。
現在も使われている葛城市の新庄(しんじょう)という地名ですが、これは中世の地名とされます。
古代葛城の中心地であり、葛城御縣神社の鎮座地としても知られます。昨今訪れた忍海角刺宮跡も記憶に新しいところですね。
池の水を調節する弁でしょう。
よく晴れた屋敷山公園内には、お弁当を広げて寛ぐ人も数人見られました。
噴水がY字に飛び出し、水面に波紋が広がっていました。
屋敷山古墳の東側に水を湛えるこの池は、前方後円墳の周濠の名残なのでしょうか。
発掘調査は既に1972年と1988年に行われています。
出土遺物としては家型埴輪片、円筒埴輪片、器財埴輪片、金銅製鉄製品、ガラス製小玉などがあります。被葬者は古代豪族・葛城氏の首長と断定されたわけではありませんが、ほぼ間違いはないのではないでしょうか。
公園にはブランコもありました。
どの辺りに花火が上がるんでしょうね。ブランコを漕ぎながら夜空を焦がす花火を見てみたいものです。
屋敷山公園からさらに県道30号線を進んだ所に鎮座しています。
葛城古道には歴史を感じさせる寺社がたくさんあります。東の山の辺の道とよく比較される西の葛城古道ですが、山の辺の道に匹敵するハイキングコースとして人気を集めています。
屋敷山公園内の自動販売機。
葛城市マスコットキャラクターの蓮花ちゃんが描かれています。
せんとくんとの恋物語が気になるところですが、すっかり葛城市のシンボルとして定着した感がありますね。
<屋敷山古墳の見学案内>
- 住所 :奈良県葛城市南藤井17(屋敷山公園内)
- アクセス:近鉄新庄駅より徒歩15分
- 利用時間:午前9時から午後5時
- 駐車場 :有り(無料)