近鉄飛鳥駅から壺阪山駅へ通じる沿線の西側にマルコ山古墳という古墳があります。
明日香村大字真弓の終末期古墳で、漆塗木棺片や金銅製の飾り金具、さらには30歳代の男性と見られる人骨が出土したことで注目を集めました。
マルコ山古墳。
石垣に囲まれた緑の墳丘。7世紀末から8世紀初めに築造された六角形墳とされます。直径約15m、高さ約5.3mの規模になります。墳丘には盗掘孔があり、鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて盗掘に遭ったことが分かっています。
マルコ山古墳の行き方
実は今までに何度も、真弓丘のマルコ山古墳を見学しておきたいと思っていました。
しかしながら、どういうわけか毎回道に迷って断念していたのです(笑) これではいけないと一念発起して、詳しく下調べをした上で出掛けてみることに致しました。
先に申し上げておきますが、マルコ山古墳のアクセスポイントは地ノ窪(じのくぼ)という地名にあります。
近鉄電車に並行するように、その東側を国道169号線が通っています。
飛鳥駅前から国道169号線沿いを南へ向かいます。あるいは高取川沿いに整備された遊歩道を南へ取ってもいいと思いますが、今回はマルコ山古墳初心者の方のために分かりやすい国道沿いを歩きます。
道端のお地蔵さんを通り過ぎ、飛鳥駅前から数えて3つ目の信号へと辿り着きます。
やって来ました、ここが地ノ窪ですね。
今来た道を振り返り、北側を向いて撮影しています。マルコ山古墳へのアクセスは、ここ地ノ窪のT字路を西へ向かいます。
程なく高取川に架かる地ノ窪橋が見えて参ります。
橋の手前に「いちご狩りパーク」の看板が出ていました。完全予約制、30分食べ放題と案内されています。
さらに西へ進んで行くと、近鉄電車の踏切が見えて参りました。
橿原神宮前、岡寺、飛鳥、壺阪山と続く近鉄電車は、そのまま吉野方面に向かう近鉄吉野線へと繋がっています。
踏切道 飛鳥第二号と記されていますね。
地ノ窪で曲がった後は、踏切を超えるというのも大切なポイントです。
踏切を超えてしばらく道なりに進むと、左手に先ほどのイチゴ狩りパークの駐車場が見えて参りました。どうやら堀江農園さんが運営なさっているようです。
駐車場の先が緩やかに左へカーブしていますが、その右手に見える社叢は櫛玉命神社です。
櫛玉命神社を後にして、緩やかな坂道を登って行きます。
左手に苺のビニールハウスが姿を現し、その向こう側には高取国際高等学校が見えて参ります。左手は見事に視界が開け、とても気持ちのいいウォーキングが楽しめます。
マルコ山古墳へ通じる道沿いにパンジーが植えられていました。
観光客をお出迎えするささやかな心遣いが感じられます。
そのまま緩やかな坂道を登って行くと、右手にマルコ山古墳らしき墳丘が見えて参りました。
歩道が整備され、小さな公園になっているようです。
マルコ山古墳の案内板。
民家の向こう側にマルコ山古墳が見えています。
この形はどこかで見たような・・・脳裏に蘇る映像を追っていくと、四神壁画で知られる高松塚古墳へと行き着きました。壁画の保存問題が話題になった高松塚古墳ですが、現在の整備された高松塚古墳の墳丘とどこか似ています。それもそのはず、マルコ山古墳はその規模と構造において高松塚古墳とよく比較されるようです。
右手に歩道が整備されています。
マルコ山古墳の周囲には排水施設も確認されています。
説明書きを読んでみると、「真弓崗(まゆみのおか)」の文字が見られました。
真弓丘にはマルコ山古墳の他にも、牽牛子塚古墳や岩屋山古墳などがあります。飛鳥の地で権勢を誇った人物たちが、ここ真弓丘で永遠の眠りに就いています。
マルコ山古墳の横口式石槨。
石槨の内面には漆喰が塗られ、漆塗木棺や金銅製六花形文様の棺金具、玉類、人骨などが発見されています。
墳丘の頂上へも登ることができます。
小さな石が埋め込まれ、マルコ山古墳頂上へと誘います。
これは何でしょうか?
墳丘の頂上付近に通気口のようなものがありました。
榊でしょうか。
紙垂と共に結界が張られています。
下界を見下ろします。
民家のすぐ傍に古墳のあることが分かります。
マルコ山古墳にはおトイレも常設されています。
墳丘に似せた形に設計されているのでしょうか。どこか不思議な組み合わせです(笑)
墳丘の下には石のベンチも備え付けられていました。
ここに座ってお弁当でも広げたらピクニック気分が味わえますね。
マルコ山古墳の近くには、草壁皇子陵ではないかと言われる束明神古墳があります。佐田集落の奥、春日神社境内で発見された八角形墳ですが、個人的にも是非訪れてみたい古墳の一つです。
<真弓丘の古墳関連情報>