椿井井戸!物部守屋討伐の戦勝祈願

椿井春日神社前の井戸。

今も清水が湧き出る古井戸として知られます。聖徳太子に仕えていた神手将軍が、椿の杖を突き立て戦勝祈願したと伝わります。蘇我馬子と聖徳太子が “打倒物部守屋” で手を組んだ、古代の宗教戦争ですね。神か仏かで争った戦ですが、各地に聖徳太子の伝説が残ります。

椿井井戸

椿井井戸。

椿井線刻石仏から東へ坂道を登ると、湿気を感じる場所に出ました。常念寺というお寺の前に、ブロック塀と柵で囲われた古井戸がありました。「椿井」と刻む石標は苔生し、湿度の高さをうかがわせます。

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椿井の地名由来にもなった古井戸

仏教擁護派として蘇我馬子とタッグを組んだ聖徳太子。

その太子に仕えた平群の神手将軍という相関図です。神手将軍が椿の杖を突き立てると、傍らから冷泉が湧き出たと伝わります。どこか弘法大師の井戸を思わせる逸話ですね。

椿井井戸

椿井井戸を覗き込んでみました。

訪れたのは真夏です。真冬であれば、もう少し綺麗だったかもしれません。

生駒山と小菊畑

国道168号から椿井井戸を目指して東へ入ります。

北西には生駒山が聳えています。手前の畑では小菊が栽培されていました。

常念寺の鐘楼

常念寺の鐘楼。

石垣の前に、椿井井戸の案内板がありました。

椿井井戸の案内板

椿井井戸(平群町椿井)の案内板。

今も清水が湧出する古井戸で、聖徳太子と平群神手将軍の逸話が伝えられている。

物部守屋を征伐する際に苦戦し、神手将軍が領地のこの地に椿の杖を突き立て、戦勝を祈願された。(平群氏の祖先を祀る春日神社を参拝した時ともいわれる。)

すると、一夜にして杖が芽吹いて葉が茂り、傍らから冷泉が湧き出し、汲めども尽きなかった。これは戦いへの瑞祥であると大いに喜ばれ、太子と共に飲まれた。兵士達にも振る舞ったところ士気が大いに上がり、守屋戦に大勝することが出来たという。

以来、「椿井」と称して大切にされ、地名の興りとなっている。

椿井井戸周辺地図

椿井井戸の周辺地図。

常念寺の奥に、平群氏の祖神を祀ったという椿井春日神社が鎮座しています。鳥居の手前には、奈良県史跡の円墳・宮山塚古墳がありました。地図に出ている宮裏山古墳ですが、どうやら椿井城跡の登山ルート上にあったようです。そうとは知らず、辺りをウロウロ探し回りました。次回への宿題ですね。

椿井の石標

椿井の石標。

斑鳩、もしくは王寺方面から竜田川沿いに入り、国道168号を北へ進みます。平群町に入り、やや開けた場所に出ると「椿井」という地名を目にします。“椿井”は椿井井戸に端を発する地名であることが分かりますね。

平群町の常念寺

常念寺の境内。

青々と松が生い茂っていました。

常念寺の風景

境内から西の平野部を望みます。

常念寺の石仏

石仏が祀られていました。

印を結ぶ坐像は阿弥陀さんでしょうか。向かって左の石仏に切断面が見られますね。麓の椿井線刻石仏もそうでしたが、ひょっとすると牛馬に引き倒された跡なのかもしれません。

椿井井戸

鐘楼の右奥に見えているのが椿井井戸です。

守屋討伐の際、戦勝祈願をした山が信貴山と伝わります。聖徳太子が願を掛けると、毘沙門天が現れて必勝法を伝授したと言います。寅の年、寅の月、寅の日の信貴山朝護孫子寺にお参りすれば、より深く聖徳太子の跡を辿ることができます。

今回は見落としてしまいましたが、平群町役場前の長楽寺へ行けば、太子が腰を掛けて戦略を練った「鑑石(かんがみいし)」が見られるようです。

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