達磨寺本堂の背後に建つ石塔。
達磨寺を中興した南峯和尚ゆかりの石幢(せきどう)です。
長い歴史の中で寺社は荒廃するものです。栄華を誇る時期もあれば、衰退を余儀なくされる時もあります。聖徳太子と達磨大師が出会った達磨寺にも、そんな荒廃の歴史が伝わります。
右の八角石塔が達磨寺中興記石幢です。
一見すると石燈籠のようでもありますが、燈籠にしては火袋がありません。明らかに何かを顕彰する石碑であることが分かります。
室町将軍らの力添えで復興した達磨寺!重要文化財の石幢
お寺に中興の祖は付き物です。
寺勢が衰え、荒廃したお寺を立て直す人物が登場します。中興祖のお陰で、令和の世まで法灯をともし続けることができたのです。感謝の念をもって見学したい石幢ですね。
達磨寺西門。
国道沿いに建つ門です。すぐ横が達磨寺駐車場で、多くの車が停まっていました。西門手前のアスファルト道に雪丸の足跡が(^O^) 親切に達磨寺を案内してくれています。
達磨寺中興記石幢(国指定重要文化財)の案内板。
石幢(せきどう)とは八角石塔のことで、室町時代の文安5年(1448)に建てられた。石幢には寺が荒廃したのち、室町将軍らの力添えによって復興したことを記した「達磨寺中興記」の文章が刻まれている。石幢の地下からは、嘉吉2年(1442)銘の石碑などが出土した。
重文の石幢には、室町幕府将軍の足利義満、義持、義教、さらには山名時熙の力添えにより中興を成し遂げていった過程が刻まれています。室町時代の陰刻が残されているとは、とても貴重な歴史遺産だと思います。
石幢の背後には墓石が並んでいました。
八角石塔のすぐ東には達磨寺古墳があり、「片岡の里保育園」が迫ります。庶民に近いお寺といった雰囲気が流れます。日常的にお墓参りに訪れる人も多いのでしょう。
蕨手(わらびて)や宝珠も、おそらく室町時代のものだと思います。
ちょうど石燈籠の火袋に当たる部分に火口(ひぐち)が見当たりません。八角形の長い石塔が基礎の上に建ち、これは顕彰碑なんだと気付きます。
反花(かえりばな)の意匠。
南禅寺の和尚に依頼して記されたという達磨寺中興記・・・そこに南峯和尚が一文を添えたようです。
歴史が蘇りますね。
時代を経てもなお、はっきりとした陰刻です。
聖徳太子もきっと、感謝の気持ちでいっぱいではないでしょうか。バトンをつなぐ人々の想いが伝わってきます。