アメとムチの二相を表す石仏。
柳沢文庫から毘沙門曲輪へ抜ける手前に、「両面石仏」と呼ばれる石垣の転用材があります。寄せ集めの石塔部材を組み合わせた「寄せ集め塔」の先に、ひっそりと置かれていました。
両面石仏の泰山府君(たいざんふくん)。
泰山府君は中国の泰山に住む神様です。道教においては人の寿命を司る神とされます。仏教と習合し、十王の一仏となりました。閻魔王の太子、あるいは書記とも言われます。亡者は泰山府君の前で、生前の罪を暴かれるのだそうです。
郡山城の本丸石垣より出土!地獄堕ちの恐怖と地蔵菩薩の慈悲
両面に彫り出された石仏。
対比効果を狙ったものであることは容易に想像が付きます。橘寺の二面石なども、善悪の二面相ですからね。大和郡山城跡の両面石仏には、“救い”の地蔵菩薩と“恐怖”の泰山府君が彫られています。
もう片方の地蔵面。
残念ながら首から上が欠損しています。お地蔵さんの両側には、薄肉彫りの十王が表現されていました。冥府で亡者を裁くという十王が、地蔵菩薩を取り囲んでいます。
地獄に堕ちた人にも救いの手を差し伸べるという地蔵菩薩は、とても有難い存在ですね。
柳沢文庫。
入館料は300円です。
柳澤家から寄贈された歴代藩主の書画や和歌、古文書などを所蔵します。
柳沢文庫の前に広がる庭。
芝生のグリーンがよく映えます。冒頭の両面石仏は、この庭の左奥にありました。
両面石仏の案内板。
昭和48年(1973)、郡山城本丸石垣より出土した。奈良などの寺院から、石垣の転用材としてここに運ばれたものであろう。舟形の石材(花崗岩)の両面に、浮き彫り(薄肉彫り)で像容を表す。上端部が欠損しており、現状で高さ65cmを測る。片面は中央に大きく十王の一人(泰山府君;たいざんふくん)の坐像が彫られ、向かって左側に金棒を持つ鬼、右に従者が配置されている。
また、もう一面には蓮台に地蔵立像を浮き彫り(半肉彫り)とし、その左右に十王を薄肉彫りで配置している。地蔵は右手に錫杖、左掌に宝珠を持つ通形(つうぎょう)で、首から上を欠損する。亡者は泰山府君の前で生前の罪を暴かれるが、一方で地蔵菩薩によって地獄の責め苦から救われる。
つまりこの両面石仏においては、墜地獄の恐怖とそこからの救済が表現されている。鎌倉後期の製作と思われ、民衆に対し、罪の怖さと信仰の尊さを説くために使われたものだろう。全国的にあまり例を見ない、非常に貴重な作例である。
白毫寺地蔵十王石仏
※本作例(地蔵面)に近いレイアウトである
既に欠損し、復元は出来ないもののおおよその見当は付くようですね。
白毫寺にも地蔵十王石仏が伝わっています。そう言えば、天理市福住で十王石仏を見学したことを思い出します。いずれも薄肉彫りで判然とはしませんが、亡者を裁くという十王に違いはありません。
番屋カフェの向こうに郡山城天守台を望みます。
戦国時代の野面積み石垣。
石垣には寺院の礎石や石塔、石仏など多数の転用石材が使われています。両面石仏も郡山城の本丸に使われていたことを思うと、石材の調達には一苦労あったことがうかがえます。