歴史上の人物で頼光(らいこう)と言えば、源頼光(みなもとのよりみつ)を指します。
頼光は清和源氏の基礎を固めた源満仲の子に当たります。
平安中期の武将であった源満仲は武略に富んだ人物として知られ、摂津多田に居住して多田氏を称していました。その子の頼光も武勇を以て称され、左馬権頭に昇格したことで知られます。源頼光は大江山の酒呑童子征伐の伝説や、土蜘蛛伝説などでも名を馳せています。
手向山八幡宮の神楽所で見学した、源頼光の鬼退治の絵。
甲冑に身を包んだ頼光が、酒呑童子を征伐している様子が描かれているのでしょうか。
絵巻物や御伽草子の酒呑童子伝説
酒呑童子とは、鬼形をまねて財をせしめ、弱い立場の婦女子を略奪していた盗賊のことです。
丹波国大江山や近江国伊吹山に住んでいたと言い伝えられます。伊吹山といえば、大和の地を愛した日本武尊が絶命した場所でもありますよね。古来より何か、末恐ろしい場所と捉えられていたのでしょうか。
手向山八幡宮の境内にある神楽所。
菅原道真公の腰掛石のすぐ近くに建っています。歴史を感じさせる鄙びた雰囲気の建物です。
冒頭の鬼退治の絵は、大江山に住む酒呑童子を源頼光が四天王と共に、勅命を奉じて退治した話として伝えられます。絵巻物や御伽草子の他にも、草双紙や浄瑠璃歌舞伎の題材としてもすっかりおなじみです。四天王と共に退治したと伝えられますが、その内の一人が金太郎こと酒田公時だと言われます。
東大寺三月堂から手向山八幡宮の石鳥居を抜けて、八幡宮の境内、若草山麓方面へと向かいます。東大寺の守護神として崇められる手向山八幡宮は、東大寺にとって無くてはならないお社です。
手向山八幡宮本殿を左手に見ながら若草山方面へ歩いて行くと、程なく右手に鄙びた神楽所が見えて参ります。
神楽所は奈良県指定文化財のようですね。
源頼光鬼退治の絵。
所々見えにくくなってはいますが、施された彩色が随所に浮かび上がります。
神楽所の向かって右手には東照宮が安置されています。
これまた歴史の重みを感じさせる重厚な造りです。
土蜘蛛伝説のことも案内されていますね。
源頼光の病床に、妖怪の土蜘蛛が僧形で姿を現します。頼光に斬り付けられた土蜘蛛は、葛城山に追い詰められて退治されるというお話です。神話の世界においても、大和朝廷に服従しなかった辺境の民を土雲(つちぐも)と言いました。竪穴住居に住んでいた人々の蔑称とされますが、頼光の土蜘蛛伝説とも通じるものを感じます。
神楽所を通り過ぎ、さらに若草山方面へ歩いて行くと土産物屋さんがありました。
これは孫の手ですね(笑)
奈良観光に訪れる外国人にとっては珍しいものなのかもしれませんね。
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