前方後円墳のホケノ山古墳@桜井市箸中

山の辺の道の外れに面白い名前の古墳があります。

3世紀中頃の前方後円墳で、あの箸墓古墳よりも歴史的に古いのではないかと言われるホケノ山古墳です。

ホケノ山古墳

ホケノ山古墳と復元された葺石。

卑弥呼の墓ではないかと言われる箸墓古墳には記念撮影スポットもあり、見た目にも前方後円墳であることが分かります。しかしながら、箸墓古墳から東へ200mほどの場所にあるホケノ山古墳は、一見するだけでは前方後円墳であることが分かりません。そのためか、何度もホケノ山古墳を訪れていながら、つい前方後円墳であることを忘れてしまいがちなのです(笑)

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ホケノ山古墳の名前の由来

古墳の名前が漢字表記になっていないというだけでも、十分に気になる存在の古墳です。

このホケノ山という名前の起源はどこにあるのでしょうか?書棚にある参考文献を調べてみたところ、どうやら湿地帯に多く見られる地名のようなのです。奈良県内には「フケ」関連の地名が数多く確認されており、漢字に直せば「浮気(ふけ)」、「不毛」、「布家」、「更ケ」等々が見られます。

長い歴史の中で、「フケ」は転訛して「ボケ」や「ホケ」に変化していきます。四国の大歩危(ぼけ)の奇景などは、観光客の間でも人気を博していますよね。そそり立つ断崖絶壁の間を船で渡る体験を、誰しも一度はしてみたいと思うのではないでしょうか。橿原神宮外苑の深田池なども、この湿地エリアを表す「フケ」に由来しています。水の神様として知られる広瀬神社沿いに、不毛田川という川が流れていますが、不毛田川の名前もその由来を同じくしています。

ホケノ山古墳の埋葬施設

復元されたホケノ山古墳の埋葬施設。

国指定史跡のホケノ山古墳は、古墳時代前期の大規模集落である纒向遺跡の南東端に位置しています。箸墓古墳目当てに、当館にご宿泊頂くお客様も多数おられるのですが、今後はホケノ山古墳も併せて見学して頂けるよう、勉強しておく必要がありそうです。

ホケノ山古墳の壺と説明版

埋葬施設に壺のような物も展示されています。

向こうに見えるのは、ホケノ山古墳の説明版です。

ホケノ山古墳周辺の箸中エリアを歩いているといつも気付くことなのですが、的場姓の家がたくさん並んでいます。私の母親の出里である高取町の佐田にも、的場姓の家が無数にあって、さしずめ「的場村」を形成しています。

数年前に法事でお越し頂いた箸中の的場さんとおっしゃるお客様にその理由を尋ねてみました。

箸中エリアに的場姓が多いのは織田城の名残ではないかとのことでした。お城を守るために、弓で的を射る ”的場” がこの周辺にたくさんあったからだと教えて頂きました。今も織田小学校の横には、織田氏を祀る建勲さんが祀られています。そう言われてみれば、佐田に的場姓が多いのも高取城の名残なのではないかと思われます。

マムシの注意書き

ホケノ山古墳の墳丘手前にマムシの注意書きがありました。

なるほど、こういう場所にマムシが出現するのですね。これは十分に注意しなければなりません。マムシの姿が漫画風に描かれていて、その特徴が案内されています。「頭の輪郭が三角形で、胴体は茶色のまだら模様」であると書かれていました。

ホケノ山古墳と箸墓古墳

墳丘の頂上に登って、箸墓古墳の方を望みます。

箸墓古墳の手前にこんもりと見えている墳丘は、どうやら堂ノ後(どうのうしろ)古墳のようです。

ホケノ山古墳より時代は下り、5世紀後半の前方後円墳(あるいは円墳)とされます。

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ホケノ山古墳へアクセス

ホケノ山古墳へのアクセス方法ですが、今回は徒歩で向かいました。

古墳の手前には無料駐車場も完備されていますので、細い道を通る必要はありますが、車でのアクセスも可能です。

行き方を順を追ってご案内致します。

国道169号線と並行して、その東側に細い道が箸墓古墳方面へとのびています。右手に桜井市立大三輪中学校の正門を見ながら、そのまま北進します。しばらくすると、巻向川を横切る小さな橋が見えてきます。もうこの辺りまで来ると、真正面に箸墓古墳の杜が姿を現します。

三輪山の風景

巻向川を渡ると右手に池があり、その向こうに神奈備の三輪山がそびえています。

初瀬川と巻向川の間に広がる三輪山麓を瑞垣郷(みずがきごう)と言いますが、古来より神聖な瑞垣郷の中にはお墓を作ってはならないとう不文律があったようです。そのためか、箸墓古墳やホケノ山古墳も瑞垣郷の外側に位置しています。

ならクル案内板

箸墓古墳の手前に、サイクリング愛好家のための「ならクル」案内板がありました。

このまま北進すれば、奈良公園方面へと続きます。ホケノ山古墳や檜原神社へアクセスするためには、ここを右折します。三輪そうめん山本の工場を過ぎて、JR万葉まほろば線のかまぼこ型踏切を渡り、さらに東へ進むと左手に国津(くにつ)神社が見えて参ります。

ホケノ山古墳駐車場案内板

国津神社の前に、ホケノ山古墳駐車場の案内板がありました。

ここから80mの距離にホケノ山古墳が佇みます。右手に取れば、三輪山麓に広がる瑞垣郷の茅原エリアへと入って行きます。大神神社摂社の神御前神社なども鎮まり、コアな三輪さんファンにはおすすめの場所となっています。

ホケノ山古墳駐車場

ホケノ山古墳の駐車場。

車が対向するには困難な場所にありますが、遠方からお越しのお客様にとっては有難い無料駐車場です。

ホケノ山古墳と三輪山

ホケノ山古墳の墳丘頂上から、東側の三輪山を眺望します。

どこかで見た景色に似ているなと思ったのですが、茅原大墓古墳の墳丘上から見た景色とどこか重なるのを覚えます。

茅原大墓古墳と三輪山

三輪山の手前に見えるのが、茅原大墓古墳です。

三輪山麓には数多くの古墳が密集しています。考古学ファンならずとも、名前を聞いただけで興味を覚えるホケノ山古墳ですが、実際に足を運んでみられることをおすすめ致します。箸墓古墳からの所要時間も、徒歩でわずか10分足らずでしょうか。昔ながらの長閑な町並みを抜けて辿り着く行程は、ただ歩いているだけでも十分に楽しめるものと思われます。

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