箸中長者の話には二つのパターンがあるようです。
そのどちらにも関係していそうなネズミモチの木。
箸中山古墳の後円部東方に生える一本の木ですが、金食い虫の糞から生えたという伝説もあります。
箸墓古墳(箸中山古墳)とネズミモチの木。
謎に満ちた木ですが、箸中長者の屋敷跡に根を張ります。一説によれば、清貧生活を送っていた村人に弘法大師が大黒天を与え、お金持ちになったというお話が伝わります。
概して昔話には正直者と悪者が登場しますが、上記のストーリーは正直者のお話です。
その一方で悪者を描き、反面教師として教訓を残すこともあります。
太神宮燈籠と三輪山。
ネズミモチの木の南方に建ち、その脇には石仏や石碑が並んでいました。
箸墓古墳を望みます。
実はあのネズミモチは、”金食い虫”の糞から生えた木ではないかとするお話が伝わります。
YouTube動画にも箸中長者の話がアップされていますので、ご興味をお持ちの方はどうぞご覧ください。
昔々、造り酒屋の大金持ちが箸中村で暮らしていました。
いかにも悪賢そうな長者です(笑) 小判が家中に溢れかえり、金蔵も屋敷内も一杯になりました。
ある日、娘が針仕事をしていると、針をぼりぼり食べる虫に出会います。お金が有り過ぎて困っていた大金持ちは、試しに小判を与えます。するとどうでしょう、小判をぼりぼり食べるではありませんか!お金の置き所に難儀していた大金持ちは、この「金食い虫」に小判をどんどん食べさせます。
ネズミモチの木。
お金が貯まり過ぎて困っているなら、貧しい人々に分け与えてあげればいいのですが、さすがにそれでは惜しいと考えてしまったのです。
贅を尽くした大金持ちは、食事の際も一口食べるごとに箸を捨てたそうです。その貯まりに貯まった箸の山こそが、今の箸墓古墳の墳丘というオチですね。
箸中長者屋敷跡から織田小学校方面へと続く道。
おそらく地蔵堂でしょう。
屋敷内の小判を食べ尽くした金食い虫は、今度は金蔵へと向かいます。大金持ちの制止も振り切り、とうとう金蔵の小判も食い尽くしてしまいました。
地蔵堂の中の石仏。
落ちぶれて一生を終えてしまう大金持ち・・・箸中長者と呼ぶにはあまりに寂しい結末です。
小判を食べ尽くした金食い虫。
その金食い虫のフンから一本の木が生えたと云います。
現在、箸墓の東に生えるネズミモチの木は、晩秋になると黒紫色の実を付けます。その実がネズミのフンに似ているそうです。長者が惜しげもなく捨てた箸の山、それはつまり”箸の墓”でもあったわけですね。
美談として伝わる『箸中長者』もあれば、戒めとして伝わるストーリーもあります。
謎に満ちた箸中長者。その展開に身を寄せ、歴史への入口となれば桜井市民としてこの上ない喜びです。