西名阪自動車道天理インターチェンジ近くの寺社を巡ります。
和爾下神社、柿本人麻呂の歌塚、柿本寺跡を拝観した後、国道169号線を挟んで西側にある馬出の町並みへと足を向けます。歴史的遺構を見学した後、在原業平が祀られる在原神社を参拝致します。
在原神社本殿。
平安初期の歌人であり、六歌仙・三十六歌仙の一人でもある在原業平。
阿保親王の第五子に当たり、世に在五中将・在中将と言われます。容姿端麗で情熱的な和歌の名手とされ、奈良市にある不退寺を建立したことでも知られます。「伊勢物語」の主人公と目され、ハンサムなプレイボーイのラブストーリーは広く読み継がれています。
はにわの里ハイキングコースにある在原神社
山の辺の道はハイキングコースとしてよく知られていますが、天理市内には「はにわの里ハイキングコース」という歩道もあります。
JR櫟本駅と在原神社を案内する道標。
馬出の町並みを西へ進み、T字路へ出た所で振り返ります。左へ取れば、JR櫟本駅へアクセスします。今回の目的地は在原神社ですので、右へ取って西名阪国道方面へ向かいます。
はにわの里ハイキングコース。
天理市内には8つのハイキングコースが用意されており、健康を意識したハイカーたちで賑わっています。
はにわの里ハイキングコースは、JR櫟本駅から在原神社、和爾下神社、赤土山古墳、白川ダムを経由して、六地蔵、和爾坐赤坂比古神社、櫟本高塚遺跡、かぼちゃ薬師、楢神社、高良神社(長寺遺跡)を通って再びJR櫟本駅へ戻る道程です。距離は10㎞、所要時間は3時間です。
「在原寺」の社号標。
神社とお寺が一緒になっているのは歴史の中でよく見られますが、神仏分離により寺は大和郡山市の西融寺に移されているとのことです。
境内へ入ると、右手前に姫丸社という祠が祀られていました。
祠の周辺には草が茫々と生えていて、草をかき分けながら祠の前に出ます。
どうやら在原業平の妻が祀られているようです。
業平の妻を祀る 「井筒の女」
手書きの案内プレートに親近感が湧きます(笑)
井筒の近くに在原神社の由緒が説明されていました。
謡曲『井筒』と在原寺
在原業平は平城帝(第五一代)の皇子阿保親王の五男で、兄の行平と共に在原姓を名のって臣籍に入り右近衛中将となり歌人としても知られています。
女性遍歴も多彩で「伊勢物語」のヒーローとされています。
その業平と、昔契った井筒の女(実は紀有常の娘)が現われ、業平との在りし日の交情を物語るのが謡曲「井筒」です。
謡曲の舞台となっている”大和国石上の在原寺の旧跡”が当所だといわれ、曲にゆかりの深い井筒の井の跡もかすかに残っています。
曲名の井筒は井戸の地上の部分を木や石で囲んだもののことで、本来は円形ですが方形のものもあります。紀有常の娘が幼時、背丈をこの井筒で業平と計りあったといわれます。謡曲史跡保存会
奈良県天理市に石上寺(いそのかみでら)があったと伝えられていますが、この場所がその石上寺に相当するのでしょうか。
元は在原業平の邸宅で、在原山光明寺と称したとされます。石上寺の場所に関してはもう一つの説も唱えられており、未だに定かではありませんが、歴史のロマンを駆り立ててくれるエピソードではないでしょうか。
在原神社の井筒の井戸。
この井戸は、在原神社を象徴する見所の一つですね。
本殿の左横には、業平竹とも呼ばれる夫婦竹が植えられていました。
この竹には夫婦円満のご利益があるのかもしれませんね。
在原神社の御祭神は、阿保親王と在原業平です。
平城天皇の皇子・阿保親王と、その第五子業平が御祭神として祀られています。
天長2年(825)に生を享けた在原業平は、藤原氏の強大な勢力の中、55歳で不遇のままにその生涯を閉じています。
謡曲「井筒」にも謡われた夫婦竹。
訪れる人もそう多くはない小さな神社ですが、「伊勢物語」が好きな方には是非おすすめしたい穴場です。