恒例の興福寺国宝特別公開。
2019年度の秋は北円堂と南円堂の同時公開となりました。北円堂を拝観する機会は度々あるのですが、南円堂はごくわずかです。興福寺さんから送られてきた招待券を手に向かいました。
興福寺南円堂と特別拝観券。
国内外を問わず、たくさんの拝観客で賑わっていました。
「稀代の天才」と称される北円堂の運慶に、「慶派の礎」を築いた南円堂の康慶。南円堂の国宝・木造不空羂索観音菩薩坐像は康慶の作で、桧材の寄木造とされます。仏師康慶とその弟子たちが約15カ月を費やして造像し、これを機に康慶は後に隆盛する康派仏師の地盤を築いたと言います。
不空羂索観音との結縁!玄昉、玄賓の国宝法相六祖坐像
西国三十三番霊場の第九番札所「興福寺南円堂」。
通常は大般若経転読会が行われる10月17日のみの開扉です。
今秋の特別拝観期間は10/17~11/10となっています。現在の南円堂は4度目の再建に当り、創建されたのは弘仁4年(813)で、藤原冬嗣が父内麻呂を追善するために建てたと伝わります。
南円堂の御本尊・不空羂索観音菩薩坐像。
三目八臂(さんもくはっぴ)の坐像です。
3つの目と8本の手を持つ仏像で、眉間に入る縦長の目が印象的です。一見すると6本の手のようにも見えるのですが、実は第三手を両方とも脇下に垂らし、五指を伸ばして掌を前に向けています。不空羂索観音を真横から見上げると、前、後ろ、真ん中の3本ずつの上腕が見えます。変化観音(へんげかんのん)の腕を、いつもとは違ったアングルから見るのも面白いですね。ところが、真横から見ても第三手だけは見えにくい場所に付いていました。
第一手で合掌し、第二手の左に蓮華、右には錫杖を持ちます。そして第四手の左に羂索、右には払子(ほっす)を持ちます。羂索(縄)で人々の願いを空しいものにしない誓願を持つと言います。
「南圓堂」と刻む石灯籠。
今回のお詣りで、南円堂の前に結縁の紐がぶら下がっていることに気付きました。
結縁の紐。
この紐は堂内の不空羂索観音とつながっています。実際お堂の中に入り、そのことを確認しました。
同行二人(どうぎょうににん)の金剛杖でしょうか。
お遍路さんの持ち物ですね。
皆さん一心に祈っておられました。
法相六祖坐像の玄昉。
海龍王寺の開基でもある高僧です。
玉眼入りの肖像はどれもリアリティに満ちています。六人の高僧が坐しているのですが、3人ずつ2組に分かれて不空羂索観音の脇を固めていました。そのトライアングルの頂点に、それぞれ玄昉と玄賓が祀られています。法相宗の歴史の中でも、それだけ玄昉と玄賓は重要ということなのかもしれません。
法相六祖坐像の中でも、この玄昉像だけが外縛印(げばくいん)という印を結びます。
外縛印とは、ご臨終を迎えた方が胸の上で組む合掌の姿です。仏教においては、右手が仏様で左手が自分を表すようです。自分が仏様と一体であることを意味しています。
法相六祖坐像の玄賓。
私は桜井市民ですので、山の辺の道沿いにある玄賓庵を思い出します。世をはかなんだ玄賓が暮らした庵ですが、南円堂の肖像彫刻は壮年期のものでしょうか。
右手で前方を指差している姿が印象に残りました。
この他にも、左前方に睨みを利かせる善珠(ぜんしゅ)、立膝で柄香炉を持つ行賀などが祀られます。
南円堂の右近の橘。
暦の上では立冬を過ぎ、いよいよ冬支度の始まりですね。
香炉台の鶏。
右近の橘の周りには石の瑞垣が巡ります。
白毫の上に第三の目が見られます。
まるで猫の目のような形です。虚ろに見開く第一、第二の目は瞑想状態を表しているのでしょう。
堂内では不空羂索観音の真後ろに回り込むこともできます。平たい光背を見上げることになるわけですが、そこに横長の箱が吊るされていました。中身を伺うと、不空羂索観音を描いた掛軸なんだそうです。かなり大きな掛軸のようで、10月17日に御開帳されます。
不空羂索観音を包み込む天井。
放射状に「光」のようなものが広がっていました。
この後、北円堂も拝観したのですが、北円堂の天井にも同じように放射状の線が見られました。ガイドの方にお伺いすると、「逆蓮」と呼ばれるもので ”蓮を逆さにしたもの” なんだそうです。北円堂は逆蓮ですが、南円堂の方は太陽の光を表しているとのことでした。なるほど、対照的に造られているのかもしれませんね。
北円堂と南円堂では建物の大きさも違います。南円堂の方が一回りも二回りもゆったりサイズでした。
国宝公開記念土産!興福寺ゆかり&邪鬼のイラスト
北円堂と南円堂の同時公開。
今回の特別拝観を記念して、興福寺のゆかり(精進ふりかけの一種)と邪鬼を描いたエコバッグが配布されました。北円堂と南円堂の小冊子も付いて、興福寺ファンには嬉しいお土産です。
国宝公開の記念みやげ。
エコバッグには四天王像に踏み付けられる邪鬼が描かれています。
四天王立像が国宝なら、その下の邪鬼も国宝指定を受けた仏像です。さらに加えて、邪鬼の下の台座も国宝であることを忘れてはなりませんね。
今回の拝観で邪鬼の後ろ脚は二本指で、前脚が三本指であることを知りました。全ての邪鬼がそうであるとは限りませんが、新たな発見です。さらに増長天に踏み付けられる邪鬼の顔がブツブツなのも気になりました(笑)
拝観受付を通って、いよいよ興福寺南円堂へ。
八角円堂を半周して入口へと回り込みます。
六葉(ろくよう)と樽の口(たるのくち)。
六葉の葉と葉の間には「猪の目」がデザインされています。
八角円堂ですから、こちらの内角は135度になるのでしょうか。
もちろん、計算の元に造られているのでしょう。
軒下には組木も見られます。
朱色の建物に、緑の連子窓(れんじまど)がよく映えます。
緑色の棒状材を連子子(れんじこ)と言いますが、間隔は割と狭いですね。連子窓の歴史を辿れば、最初は間隔が広かったようです。徐々に狭くなっていき、最終的には「盲連子(めくられんじ)」のようにほぼ見通しのきかない窓になっていったようです。
再建されて間もない興福寺中金堂の屋根が見えています。
中金堂の中には、法相宗の系譜を伝える法相柱が立っています。
拝観入口に辿り着きました。
五重塔が見えていますね。
ここで靴を脱いで堂内に入ります。
南円堂外周の埋め木。
歴史ある木造建築物を長持ちさせるための智恵です。
突き出る樽の口の向こうに五重塔を望みます。
こうして寺社建築の意匠に目を凝らしてみるのも一興です。
普段はこの外周を歩くことも出来ません。
貴重な機会を頂きました。
南円堂脇の鐘楼。
その手前の白いテントは、国宝特別公開の臨時受付所です。
南円堂の外周を歩いていると、興福寺三重塔が見えてきました。
三重塔は興福寺の中でも北円堂と共に最古の建物とされ、初層内部には千体仏が描かれています。東の須弥壇には弁才天坐像と十五童子像が手厚く祀られます。
結縁の紐。
南円堂の中へと延びているのが分かります。
確かに堂内へと続きます。
特別拝観の時以外は、不空羂索観音をこの目で拝むことが出来ません。それを補う観音様のお慈悲を感じますね。
南円堂安置の国宝四天王立像。
これらも康慶の作とされ、桧材寄木造の仏像です。いずれも沓を履いた力強い四天王で、鎌倉再興期を特徴付ける国宝です。
興福寺の合格祈願絵馬。
南円堂の手水舎に掲げられていました。
こちらは諸願成就の絵馬。
南円堂は西国観音霊場の札所ですから、古来より多くの参詣客で賑わったことでしょう。どれだけの願いを受け止めてきたことか、この絵馬のイラストからもうかがい知れます。
手水舎前から見る南円堂。
一番向こうには、一言観音の建物も見えています。
藤原氏の紋である下がり藤ですね。
南円堂の堂内にも、金色に輝く「下がり藤」が数多く見られました。
不動堂前の棚に、緑色をした豆のような実がぶら下がっていました。
不動堂では、毎月1日、15日、28日に護摩祈祷が行われます。
藤原氏の信仰を集めた興福寺南円堂。
不空羂索観音が身に纏う鹿皮は、氏神春日社との関係を示しているようです。
国宝仏像を数多く収める南円堂ですが、建物そのものは重要文化財に指定されています。