国宝に指定される高松塚古墳の壁画。
昭和47年に発見された女子群像はあまりにも有名ですよね。
カビ問題により石室を解体して修復することになったわけですが、その際に製作された解体実験用の石室が飛鳥資料館で公開されています。定期的に壁画公開も行われますが、今までは解体された石室しか見たことがありません。これは新鮮ですね。
高松塚古墳の解体実験用石室。
盗掘孔も再現されています。
一般公開されている場所は、飛鳥資料館の前庭です。亀石や猿石のレプリカと共に、新たな展示物として登場していました。
16石の白河石で製作された石室!山田寺の塔心礎も見所
高松塚古墳のある場所は、近鉄飛鳥駅に近いエリアです。
一方の飛鳥資料館は飛鳥駅から離れており、桜井市寄りに位置しています。
高松塚古墳の実験用石室ですが、今までひっそりと飛鳥資料館に保管されていたようです。カビによる劣化問題は深刻で、細心の注意を払って修復作業が行われていました。いきなり実物の石室を解体するわけにはいきませんからね。実験用の石室を作って、石橋を叩いて渡るような作業が続けられたものと思われます。
奈良文化財研究所 飛鳥資料館。
石人像のレプリカが出迎えてくれます。
飛鳥資料館の前庭には、亀石のレプリカも展示されています。
亀石の背後に目を向けると、新たに登場した高松塚古墳の石室が見えています。
実験用石室には、福島県産の凝灰岩「白河石」が使われているようです。
ちなみに実物の石室には、二上山の屯鶴峯周辺で採れた凝灰岩が使われています。
この日は春期特別展『骨ものがたり』が開催されていました。
”骨から歴史を読み解く” と銘打ち、馬の下顎やニホンジカの脛骨などが案内されています。飛鳥資料館の入館料は一般270円ですので、割と気軽に立ち寄れるのではないでしょうか。
石材をクレーンで吊り上げる実験も繰り返されたと言います。
どこに重心があって、どの方向に持ち上げれば一番安全なのか等々、不安材料を一つずつ削っていく作業だったのでしょう。ご苦労が偲ばれます。
解体実験用石室の解説。
この石室は、高松塚古墳の石室の解体作業に先立ち、石室の石材を吊り上げる機材の開発や、解体作業のシミュレーションを行うために、実物大で製作されたもの。
石室は16石で構成されている。盗掘孔がある南面だけが見えていた状態で全体を推定して製作したため、各石材の寸法や形状が実際の石室とは異なる部分もあった。ここに設置するにあたり、解体作業で得られた実物の石材の寸法などの情報をもとに、できる限り実物の形状に近づけた。
石材は福島県産の凝灰岩(白河石)を使用した。
横から撮影。
漆喰なのでしょうか、白いラインも見られます。
飛鳥資料館の前庭は無料開放されています。
猿石の背後も確認できる穴場ですので、飛鳥フリークなら一度は訪れておきたいところです。
盗掘孔に張られる網。
中を覗こうとすると、照明が灯されました。
壁面には何も描かれていませんでしたが、壁画の復元も検討されているようです。
ぐるりと回り込むことができます。
向こうに見えているのは、移築保存されている八釣マキト5号墳です。天井石こそ失われていますが、横穴式石室の中を体感することができます。
実験用石室手前の藤棚。
ドンピシャの季節に来れば、藤の花を楽しむこともできるのかもしれません。
墳丘の絵と共に案内されています。
高松塚古墳にも壁画館がありますが、このサイズの石室を展示するには小さ過ぎます。露天に晒されているとは言え、この場所で正解でしょう。
山田寺の塔心礎。
蘇我入鹿の従兄弟に当たる蘇我倉山田石川麻呂が造営着手した古代寺院。回廊の部材が出土し、飛鳥資料館の館内でも見学が出来ます。
山田寺の塔心礎。
1976年の発掘調査で地下1mから見つかった山田寺の塔心礎の模造である。巨大な花崗岩で作られ、直径約180cm、厚さ84cmあり、この上に塔の心柱が建てられた。
中央に舎利孔があり、「上宮聖徳法王帝説」の裏書によれば、天武天皇2年(673)に舎利8粒をいれた舎利容器と多くの珠玉が埋納されていたことがわかるが、盗掘にあい舎利容器などは失われていた。心礎は現在埋め戻されている。
これが舎利孔でしょうか。
心礎は既に埋め戻されているようですが、再び永い眠りに就いた歴史遺物を思います。博物館に寄贈されるものもあれば、元の場所に戻されるものもある。どのあたりで線引きされているのか、素人目線で気になりますね。
塔心礎から亀石の方に向き直ります。
今まではパッとイメージの出来なかった高松塚古墳の石室。飛鳥資料館で公開されることになり、これからは目に見える形で届けられます。