大津皇子の辞世句が御厨子観音の参道手前にあります。
非業の死を遂げた大津皇子ですが、その万葉歌の中に「雲隠る(くもがくる)」という言葉が使われています。
大津皇子の万葉歌碑。
歌碑の背後には、古代磐余池の跡地が広がっていました。
万葉歌碑のある場所は、橿原市のみずし観音のすぐ近くです。大津皇子の墓は二上山の雄岳頂上付近にあり、なぜこのポイントなのかとも思ったのですが、歌のテーマに磐余池が登場していることに気付きます。
貴人の死を表す「雲隠れ」
そもそも「雲隠れ(くもがくれ)」とは、貴人の死を例えています。
他人が表現するのであれば自然な言葉ですが、自身の死を「雲隠る」とは言わないのが普通のようです。果たしてこの歌は偽作なのか、気になるところではあります。
「ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」
「磐余の池に鳴く鴨を見ることも今日限りで、私は雲の彼方に去ってしまうのだろうか。」という意味です。
この碑の東側に磐余の池があったと伝えられています。
この碑文は、写真家入江泰吉氏による 橿原市教育委員会
身分の高い人がお隠れになることを表す「雲隠る」。
自動詞として使われる古語ですが、敬意を込めた言葉であり、自分の死を表現するにはいささか不自然な流れを感じます。
発句の「百伝ふ(ももづたふ)」は枕詞で、数の多いことを表し、「八十(やそ)」や「五十(い、いそ)」などに掛かります。この場合、磐余の「い」に掛かっているのでしょう。
みずし観音の参道。
左手前に百度石がありますが、さらにこの左側に万葉歌碑が建立されています。
大津皇子の墓には諸説あって、葛城市の鳥谷口(とりたにぐち)古墳がそうではないかとも言われています。真相はまさしく ”雲隠れ” といったところでしょうか。