機織り技術集団の神。
川西町役場の近くに式内社の糸井神社が鎮座しています。拝殿内には奈良県指定文化財・結崎の太鼓踊り絵馬と、結崎のおかげ踊り絵馬が掲げられていました。
糸井神社境内に咲く渦紫陽花(うずあじさい)。
太子道を北上し、能楽観世流発祥の地・面塚から寺川に架かる宮前橋を渡ると、立派な朱色の鳥居が見えて参ります。糸井神社から北東方向へ徒歩1分ほどの距離には川西町役場があります。
能観世流の創始者観阿弥が、能楽の御前演奏の成功を糸井神社に祈願。すると、天から能面と禰宜(ねぎ)を授かったと伝わります。その伝承地『面塚』が糸井神社近くにあるというのもポイントの一つですね。
豊鍬入姫命を祀る機織りの神
糸井とは結崎やその付近一帯を総称した郷名とされます。
繊維紡績関係の栄えたエリアで、糸井郷の豪族を糸井造(いといのみやつこ)と言います。
糸井神社の鳥居。
約千年も昔の「延喜式」という書物に、糸井神社として記される歴史ある古社。
神社の名前からして機織り集団との関連が思い浮かびますが、御祭紳には機織の祖とされる「綾羽(あやは)明神」や「呉羽(くれは)明神」も祀られています
拝殿の中を覗いてみると、ガラス戸越しではありますが、かろうじて太鼓踊り絵馬らしきものが見えます。
歴史を感じさせる踊りの様子が描かれていますが、このような踊りは「いさみ踊り」とも「なもで踊り」とも呼ばれます。安堵町の飽波神社にも、なもで踊りの関係資料が多数残されていましたよね。
雨乞い祈願や、その願いがかなった時に踊られていたと伝えられるナモデ踊り。
川西町役場のエントランス近くに糸井神社の太鼓踊り絵馬の様子が飾られていました。
本物の絵馬はあまりにも写真映りが悪かったので、こちらの方を掲載させて頂きます。
天保13(1842)年に描かれたとされる太鼓踊り絵馬。絵馬の右下の方には、西瓜を切り売りしている様子がうかがえます。西瓜の種は大和にその起源を有すると言われるほど「大和スイカ」の名前は知れ渡っていました。奈良の歴史の一端を垣間見るような気が致します。
僧侶が燈籠に火をともす様子も描かれており、当時の神仏習合の様子がうかがえます。
太鼓を持って踊っています。
五穀豊穣に直接の影響を及ぼす天候の良し悪し。神も仏も一体となって、皆で祈願していたことがうかがえます。
鳥居の向かって左脇にも紫陽花の花が開花していました。
糸井神社の住所は、奈良県磯城郡川西町大字結崎68ですが、この結崎(ゆうざき)という地名は鎌倉期から見られる地名で、「夕崎」「遊崎」「魚崎」とも記されていました。結崎郷の郷宮であった糸井神社。その風格を漂わせる神社の入口です。
鳥居前に目をやると、道路を挟んで小さな駐車場がありました。
車一台がやっと駐車できるぐらいのスペースですが、確かにここが糸井神社の駐車場のようです。
糸井神社本殿。
拝殿の後ろに厳かに鎮まる本殿には、四つの祠がずらりと並んでいます。
糸井神社の主祭神は結崎大明神とも呼ばれる豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)ですが、その他にも綾羽明神、呉羽明神、猿田彦命が祀られています。
春日大社から移築された糸井神社の本殿にしばし見入ります。糸井神社には春日曼荼羅(室町時代頃)も伝わるようです。
境内に咲く額紫陽花(がくあじさい)。
数年前の梅雨に訪れた矢田寺で、ウズアジサイとガクアジサイの違いを学んだわけですが、時を経て違う場所で観賞する紫陽花もまたいいものです。
糸井神社の干支絵馬。
今年の干支である蛇が描かれています。
糸井神社の絵馬をガイドする案内板。
太鼓踊り絵馬の他にも、同じく県指定文化財の慶応4(1868)年の「おかげ踊り絵馬」があります。伊勢神宮のおかげ参りの様子を表した絵馬で、御幣や扇、幟(のぼり)を持って整然と踊る人々が活き活きと描かれています。
拝殿に掲げられたおかげ踊り絵馬。
初夏の緑が映ってしまっていますが、なんとか写真に収めさせて頂きました。
鳥居をくぐり、正面の拝殿に相対します。
拝殿向かって左手前にはお百度石が見えます。
拝殿前までの近くて遠い距離が、式内社糸井神社の格式を感じさせます。
拝殿内には実に様々な絵馬が掲げられています。
糸井神社周辺には数多くの観光スポットが存在しています。
寺川を挟んで西側には国史跡の島の山古墳、比売久波(ひめくわ)神社、富貴寺(ふきじ)、それに子出来(こでき)おんだ祭で知られる六県(むつがた)神社などがあります。
糸井神社境内のベンチ。
そこに腰を下ろして物思いに耽るのも良し、太子道ウォーキングを楽しむのも良し、寺川より西を流れる飛鳥川沿いのサイクリングロードで自転車をこぐのも良し、様々な楽しみ方ができる糸井神社周辺。ありきたりの奈良観光に飽きた人にはおすすめのエリアとなっています。