正楽寺(しょうらくじ)の阿弥陀如来石仏を拝観して参りました。
香芝市指定文化財の線刻阿弥陀仏です。
正楽寺の本堂と思しき建物の左手前に、コンクリートの覆い屋が二つ並んでいました。左側に地蔵石仏、大きい方の右側には線刻阿弥陀石仏が祀られています。すぐ背後には、平野塚穴山古墳の墳丘が迫っていました。
正楽寺の線刻阿弥陀石仏。
平安時代後期の様式を残す、県内でも有数の石仏です。同時代の石仏は他に類例がなく、広陵町の弥勒石仏が知られるのみです。長く後世に残すべく、風雨除けの覆屋に守られていました。
蓮華座に坐す定印の阿弥陀如来
石仏の所在地は香芝市平野です。
今回私は、塔心礎で知られる尼寺廃寺跡から平野塚穴山古墳を目指しました。
歩いて向かったのですが、その途中で道に迷ってしまいました。白鳳台1丁目の新興住宅街をウロウロする内に方向を見失います。後で分かったのですが、平野塚穴山古墳のある平野集落は白鳳台を下りた場所にあります。台地を一旦下りる必要があったのです。
白鳳台から坂道を下って行くと、国史跡の塚穴山古墳が姿を現します。ちょうどその東側に、隣接する格好で正楽寺がありました。
正楽寺の阿弥陀石棺仏。
石棺の部材を使って線刻されている可能性が高いですね。案内板にはその確証はないと記されていますが、見るからに棺の部材を思わせます。二重蓮華座の上に、定印を結んで坐しておられます。
正楽寺。
浄土宗のお寺のようです。
お寺へ続く石段下には、正楽寺と平野塚穴山古墳を案内する道標が付いていました。
結構大きく、そこそこの像高ですね。
平安時代の阿弥陀様が上品上生印を結び、結跏趺坐で居座ります。
おそらくこの線刻阿弥陀が彫られた時代は、末法思想の影響が世に広まっていたものと思われます。死後の平安を望む人々が増え、阿弥陀信仰も栄えたことでしょう。
歴史を感じさせる石仏です。
線刻でありながら、量感にも満ちています。
石材は二上山で採れた凝灰岩。
あの高松塚古墳の石槨にも使われた石材ですね。脆い反面、加工のしやすい石材として知られます。
ひょんなことで出会えた石仏です。
元は平野塚穴山古墳を見学するために向かったコースでした。
線刻阿弥陀仏の左側に祀られる地蔵石仏。
お地蔵様らしく、赤いよだれかけをしていますね。赤い色には魔除けの意味も込められているようです。
平成5年度 香芝市指定文化財
正楽寺・石造線刻阿弥陀如来坐像 像高125.5cm/平安時代後期
正楽寺境内のコンクリート製覆屋の中には、板状の二上山産凝灰岩(高さ230cm、幅95cm、厚さ15.5cm)に浅く線刻した阿弥陀如来座像が祀られています。銘文は記されていませんが、緩やかに波打つ線条は優美で、平安時代後期ごろの特徴をよく伝えています。
市内で同時代の石仏はほかに類例がなく、奈良県内でも北葛城郡広陵町南郷の伝弥勒石仏(県指定文化財)が知られているにすぎません。
なお、この板状石は古墳に伴う石棺の部材を転用したのではないかとする説がありますが、表面周囲端部に丸味がある以外はそれと確定できる痕跡は見つかっていません。
右後方にブルーシートが見えます。
平野塚穴山古墳の墳丘に被せられたシートです。
今回は残念ながら調査中とのことで、横口式石槨の前に立つことは出来ませんでした。このまま覆屋の右後方へ回り込めば、平野塚穴山古墳へと通じています。
開口部と反対側にもフェンスが張り巡らされていました。
国史跡の平野塚穴山古墳ですが、埋葬施設である横口式石槨にも二上山の凝灰岩が使われているようです。正楽寺の線刻阿弥陀石仏と平野塚穴山古墳はお互いに隣り合わせですので、足を運ぶ際はセット見学をおすすめします。