纒向古墳群の最南端に位置する東田大塚(ひがいだおおつか)古墳。
全長120mの前方後円墳で、纒向遺跡の中では箸墓古墳に次ぐ墳丘規模を持ちます。纒向小学校を取り巻くように位置する纒向古墳群にあって、一つだけ南方にずれた場所にある古墳です。
東田大塚古墳の墳丘上に咲く水仙。
どこか味気ない古墳探訪ではありますが、季節の花が咲いていると心も和みます。
3世紀後半頃に築造された周濠を伴う前方後円墳
東田大塚古墳の築造時期はほぼ限定されています。
箸墓古墳と同時期の古墳ではないかと言われています。後円部には3段の段築があったようで、纒向石塚古墳との類似点も見られます。周濠幅も20mとのことで、これも纒向石塚古墳と重なります。とは言え、今は周濠を見ることができないことから想像が付きにくいですよね。唯一周濠を見ることのできる勝山古墳の幅が25mと言いますから、大体の見当は付くのではないでしょうか。
東田大塚古墳の墳丘。
前方後円墳ですが、その前方部は大きく削られているようです。
桜井市のマスコットキャラクター・ひみこちゃんが東田大塚古墳を案内していました。
墳丘全長約120mの前方後円墳。現在は南西にのびる前方部が大きく削られていますが、纒向遺跡では箸墓古墳に次ぐ墳丘規模をもっています。埋葬施設の内容は不明ですが、古墳築造前後の遺構が確認されており、箸墓古墳とほぼ同時期である3世紀後半頃に築造されたと考えられます。
纒向遺跡ではホケノ山古墳とともに、築造時期が限定できる数少ない古墳の一つであり、出現期の前方後円墳の形態を知ることができる貴重な資料であるといえるでしょう。
箸墓古墳に次ぐ規模と書かれていますね。
奈良まほろばソムリエ検定の公式テキストブック(改訂新版)を開いてみると、東田大塚古墳の全長は96mと記されています。しかしながら、目の前の案内板には120mと解説されています。この違いは何?テキストブックに従えば、全長110mの勝山古墳が最大規模になります。そして、纒向石塚古墳・纒向矢塚古墳・東田大塚古墳の全長は等しく96mと記されています。
発刊当時から比べると、何か新たな発見があったのかもしれませんね。そこで、色々調べていると・・・それまではっきりしていなかった前方部の様子が分かってきたようです。どうやら現在は全長120mの前方後円墳というのが正しいようです。
纒向小学校西側の矢塚古墳を回り込み、最終目的地の東田大塚古墳を目指します。
田んぼの向こうに見えてきたのが東田大塚古墳です。
到着した早々に、立入禁止の札に出くわしました。
どうやら墳丘は私有地になっているようです。
残念ながら墳丘に登ることはできず、その麓に咲く水仙に癒されます。
かつては後円部と前方部の長さが2:1になる纒向型前方後円墳と見られていましたが、第5次調査で前方部がさらに長いことが判明しました。4基の纒向古墳群を比べてみると、纒向石塚古墳と矢塚古墳が纒向型前方後円墳なのに対し、勝山古墳と東田大塚古墳は少し趣が違うようです。
かつてこの古墳からは、机の形をした石製品が出土したと伝えられます。
その出土品を是非見てみたかったですね。
何の目的で埋葬されたものなのか、興味がそそられます。
東田大塚古墳はJR巻向駅からも徒歩圏内です。纒向遺跡(辻地区)の見学と併せ、纒向石塚古墳~勝山古墳~矢塚古墳~東田大塚古墳の纒向古墳群を巡ってみませんか?日本という国が産声を上げたエリアを散策すれば、何かきっと新たな発見がもたらされることでしょう。