箸墓古墳という名前は、古代の有力氏族である土師氏に由来する。
箸で陰部を突いたというお話も伝わりますが、これはあくまでも箸墓という地名に付会した説話にすぎないのではないかと思われます。
箸墓古墳を背景に咲く桜。
陵墓の造営をはじめとする土木工事、さらには埴輪の制作などに従事していた土師氏。天皇の葬送儀礼にも関与していたと言われる土師氏は、箸墓古墳のある箸中周辺にも居住していたと伝えられます。
土師氏の墓が箸中に転訛
国道169号線を車で走っていると、箸墓古墳の手前に「箸中」と書かれたバス停があることに気付きます。この辺りの住所を箸中と言いますが、箸中という地名も土師氏の墓(ハジシノハカ)→ハシノハカ→ハシナハカ→ハシナカに転訛していったものではないかと思われます。
箸中の交差点手前で赤信号のために停止。運転席の右側に見える箸墓古墳と三輪山を望みます。
神奈備・三輪山との風景は「古代大和政権発祥の地」を思わせます。
箸墓古墳とミモザ。
「ハシハカ」という呼び名が先に存在していて、あとから「箸墓」という漢字が当てられた。
そう考えるのが妥当ではないでしょうか。
古代の歴史を紐解けば、”漢字よりも音が先” ということはよくあります。
巨大な前方後円墳は土師氏の優れた技術の賜物であったものと考えられます。土師氏の存在は箸墓古墳周辺のみならず、河内国応神陵を中心とする古市・誉田古墳群にも確認されます。また、和泉国仁徳陵を中心とする百舌鳥古墳群にも有力な土師氏が存在しています。
箸墓古墳と風になびくれんぎょうの花。
ここでひとつ、思い起こしておかなけれなならないことがあります。
土師氏の祖とされる人物が野見宿禰なのです。
箸墓古墳から近くの相撲神社に祀られている人物ですが、埴輪を考案したことでも知られます。その埴輪の原点とも言われる出雲人形を、野見宿禰顕彰碑の建つ十二柱神社の近くで見かけたことを思い出します。
箸墓古墳の名前の由来は諸説紛々としていますが、古代士族の土師氏に由来するという説がかなり有力ではないでしょうか。