あまてるみたま。
何とも有難い名前の神社です。アマテルミタマは自然神・太陽の霊魂を意味しています。天照御魂神社の鎮座する桜井市太田は纒向遺跡のエリアに位置し、太陽との深い関係がうかがえます。
境内の石に「天照御魂神社」と刻まれます。
おや?なんだか耳のような形が浮彫りにされていますね。
不思議な巨石が拝殿右前に佇んでいました。
敏達天皇の訳語田幸玉宮伝承地
桜井市大字太田は、敏達天皇の訳語田幸玉宮(おさだのさきたまのみや)伝承地とされます。
桜井市戒重の春日神社こそが、訳語田幸玉宮のあった場所とする説もありますが、『延喜式』には「他田坐天照御魂神社」と記されています。アマテルミタマは式内大社であり、敏達天皇が設置した日祀部(ひのまつりべ)が置かれた場所とされます。
天照御魂神社の拝殿。
日祀部とは?
万葉集や正倉院文書などには「日奉部」とも書かれ、日神祭祀に関わる部民(べみん)のことを意味しています。太陽神にまつわる職業集団であり、天皇の権威を発揚する立場にあったのではないかと思われます。
やはり耳の形を思わせますね(笑)
まぁ深い意味は無いのでしょうが、果たしてこれは自然石なのでしょうか。見れば見るほど、聞き耳を立てられているような錯覚に陥ります。
天照御魂神社のアクセスルート。
JR桜井線の巻向駅から北西方向へ歩いて行きます。
ちょうどこの道は、纒向遺跡の辻地区へも通じています。
丁字路に行き当たり、そこに道標が立っていました。
右へ180m進めば、纒向遺跡(辻地区)に辿り着きます。道標の背後に杜が見えていますが、そこが天照御魂神社の神域です。
纒向石塚古墳をはじめ、纏向遺跡を形成する勝山古墳、矢塚古墳、東田大塚古墳なども案内されています。
かつてこの地に、日本最古の都市国家があったのです。
「日本の始まりの地」と言ってもいいでしょう。歴史ファンならずとも、胸の鼓動を覚えます。
池でしょうか。
この日はほぼ干上がった状態でした。
天照御魂神社の斎庭。
拝殿右手前に聳え立つのは楠でしょうか。さらにその手前には石が積まれています。
鎮座地の太田から日の出の位置を見てみると、立春・立冬で三輪山山頂付近、春分・秋分には巻向山の頂付近となり、ここが日読みの地ではなかったかと言い伝えられます。
日読みは「日知り(ひじり)」であり、それは聖(ひじり)にも通じています。さらに日読みは「日読み(かよみ)」であり、暦(こよみ)にも繋がっていきます。太陽の動きを知ることは、全能の神との交信にも通じていたのではないでしょうか。
拝殿前には石燈籠と狛犬がそれぞれ一対置かれます。
ここは日知りの地。
古代には大変重要な場所であったことがうかがえます。
あまてるみたま。
やはり言葉の響きがいいですよね。
他田坐(おさだにます)を冠する天照御魂神社ですが、この「他田」は「タダ」と読むこともできます。そのタダから「太田」の文字を用いたのではないかと推測されます。
この道標からすぐ近くに、紅葉の名所・穴師坐兵主神社の鳥居が建っていました。
踏切を挟んだ東側が穴師坐兵主神社の石鳥居です。
意外と近いことに驚きます。
敏達天皇の時代、日祀部が置かれた天照御魂神社。
纏向遺跡見学の際は、是非立ち寄ってみられてはいかがでしょうか。