近鉄壺阪山駅を降り立ち、歴史ある土佐街道を歩きます。
日本の山城の中でも三本の指に入るという高取城。その旧大手門通り沿いに、昔の面影を残す与力窓(よりきまど)が見られます。
ノスタルジックな雰囲気が漂う武家屋敷。
昔ながらの長屋門を今に伝える田塩家です。
300年の時が流れているようですが、現在も人が住まうお屋敷です。門の入口左手に、横に材を渡す格子戸が見えます。どうやらあれが与力窓のようです。
田塩家からさらに上手には、高取藩筆頭家老の植村家長屋門があります。
ここから高取城跡まではまだ距離がありますが、昔の城下町を感じさせてくれるエリアです。
見張りの役目を担う武者窓
格子窓と言えば、通常は縦に格子が取り付けられています。
ところが、この与力窓は横に格子が並んでいます。外界を監視するために取り付けられた窓で、別名を武者窓とも言います。なるほど、人間の目は横に二つ並んでいますからね。見張り番にとっては、横格子の方が都合が良かったのでしょう。
田塩家の与力窓。
道行く人々を広角に捉えます。上下を監視するなら縦格子ですが、横幅広くワイドに監視するなら”与力窓”というわけですね。
そもそも与力とは、主に使える下級武士のことです。ここで息をひそめていたのかと思うと、歴史の鼓動が聞こえてきそうです。
案山子イベント開催時の展示品。
高取町の土佐街道では、毎年10月にかかし祭りが催されます。
与力窓が2つ確認できます。
現代社会では、なかなかお目に掛かれない形状の窓です。
武家屋敷(田塩家)。
長屋門をそのまま残す武家屋敷。300年経つ。格子が横向きの「与力窓」を2つ付けた「長屋門」。両袖に物見所と馬屋をもつ武家門のある屋敷。門を入ったところ、玄関脇に格子をはめた「監視窓」つきの塀があり、表口を警戒する構えは他では見られない珍しい遺構。
甲冑姿のかかし。
歴史好きの間ではお城ブームも湧き起っていますね。
城の曲輪跡や狭間に焦点を当て、当時の合戦の状況に思いを致す。初心者の私には少々難しい面もありますが、かじり出すとハマっていくのでしょう。
こちらの出格子の中は馬屋だったのでしょうか。
おや?出格子の横にも穴が開いているようです。
この穴は何でしょう。
ひょっとしてここからも覗いていた?
武家屋敷の特異な構造を楽しみながら、城下町を堪能させてもらった一日でした。