日本の歴史を語る上で、奈良県天理市に鎮座する大和神社を欠かすことはできないでしょう。
大和神社の祖霊社。
戦時中に活躍した戦艦大和には、大和神社の分霊が祀られていました。
米国の猛烈な空爆により、敢え無く海の藻屑と消えてしまった戦艦大和ですが、その際に殉じた数多くの御霊が、ここ大和神社の祖霊社に祀られています。
蔑称の倭から和へ!戦艦大和に祀られた大和神社の分霊
大和神社の最寄駅はJR万葉まほろば線の長柄駅です。
駅界隈を歩いていると、そこかしこに戦争の爪痕を感じさせます。
大和神社の社叢がその最たるものですが、天理市内にある柳本飛行場の防空壕も見逃せません。大和神社からもそう離れていませんので、ご興味をお持ちの方は是非足を運んでみて下さい。
大和神社の拝殿前。
天理教の法被を着た信者さんらしき方がお参りされていました。
大和神社の干支絵馬。
荒波をかいくぐるように翔る兎が描かれています。海を連想させる大和神社ならではのデザインのような気がします。
三輪山と大和神社。
手前の横長の杜が大和神社、向こう側左手に神奈備で知られる三輪山が見えます。
大和神社の最寄駅はJR長柄駅なんですが、駅の近くから大和神社方面を撮影してみました。大和を象徴する素敵な光景が広がります。
境内に展示される戦艦大和の模型。
私も含め、戦争を知らない世代が増える中、大変貴重な場所だと思います。
鳥居横にあった大和神社の案内板。
大和神社は「おおやまと じんじゃ」と読みます。
読み方は「やまとじんじゃ」でいいのではないかと思ったのですが、その由来を辿ると、納得のいく理由が判明します。
大和神社の参道。
街道から社殿まで続く、この長~い参道の長さが戦艦大和の長さと同じなんだそうです。
古代の日本は、お隣の中国から「倭」という名前で呼ばれていました。
そう、魏志倭人伝に見られる「倭」という呼称ですよね。三輪山の麓にある箸墓古墳の被葬者ではないかと伝わる卑弥呼にも「卑」という字が入っていますので、中国側から見れば蔑称になるんですが、「倭」も同じく蔑称なんです。
「倭」とは背の曲がった背丈の低い人のことを意味します。
そんな呼ばれ方をしたら面白くありませんよね。
そこで、日本側は「倭」ではなく「和」と表記することになりました。
元々あった”山の都、山処(やまと)”を意味するヤマトという音を「和」に当てたわけです。
奈良時代になると、国や郡の地名を二字で表す二字政策が行われ、「和」を「大和」と表記するようになりました。つまり、「大和」という漢字表記で「おおやまと」と読むのも歴史的推移から見れば納得がいきますよね。
山の辺の道から少し西へ外れた場所に鎮座する大和神社。奈良観光の穴場スポットとしてご案内しておきます。