徳川家康のしかみ像

しかみ像って?

しかみ像とは徳川家康が武田信玄との戦いに敗れた際、その敗戦を肝に銘じるため、自分の姿を手下に描かせた肖像画のことを言います。

徳川家康のしかみ像

家康公のしかみ像。

確かにしかめっ面をしています(笑)

徳川家康公銅像@江戸東京博物館
徳川家康公の銅像が江戸東京博物館の傍らに建っています。現在の東京の礎を築いたのは徳川家康と言っても過言ではありません。しかしながら、都内でその家康公を仰ぐ銅像は意外にもこの一体のみと言われます。徳川家康公の銅像。霊獣・贔屓の上に立っています...

スポンサーリンク

三方ヶ原戦役画像!敗戦を肝に銘じ、己を律した家康

顰(しかみ)とは、顔をしかめることを意味する言葉です。

能楽に使われる鬼面の一種にも”顰(しかみ)”がありますよね。

徳川家康のしかみ像

浜松限定のしかみ像です。

徳川家康三方ヶ原戦役画像(みかたがはらせんえきがぞう)とも伝えられます。

家康31歳の1572年(元亀3年)12月、三方ヶ原に於いて武田信玄との合戦が起こりました。敗戦を肝に銘じ、慢心の自戒として生涯座右を離さなかったと伝わります。

人間万事塞翁が馬、さすがは徳川家康ですね。

タイトルとURLをコピーしました