奈良町に鎮座する祟り神を祀るお社です。
「ごりょうさん」の名で呼び親しまれ、縁結びや書の上達にもご利益のある神社として知られます。ならまち界隈は細い道が入り組んでおり、昔ながらの町並みが残されるエリアです。そんな中にあって、鮮やかに映える朱色の鳥居が目印になっています。
御霊神社境内に鎮まる出世稲荷神社。
豊臣秀吉創立のお社と伝えられ、出世街道をひた走った秀吉のご利益に授かることもできます。
大国主命、天之宇受女命、猿田彦命、宇迦御魂命、保食命の五柱が祀られており、出世開運・商売繁盛・縁結びなどにご利益があると言われます。稲荷神との御縁を抜きに秀吉を語ることはできませんよね。病に伏せた母親の快復を願って、伏見稲荷に詣でた秀吉の逸話は今も語り草になっています。
出世稲荷社の祠前にはハート形の絵馬が奉納されていますね。
出世稲荷神社なのに、なぜ恋愛成就を祈願するのだろう?とも思ったのですが、人の出世に男女の出会いは大きな影響を及ぼすものです。良縁に恵まれたから出世するのか、出世したから良縁に恵まれるのか、どちらが先かはケースバイケースだと思われますが、いずれにしても出世と良縁は密接に結び付いています。
井上皇后・他戸皇太子を祀る御霊神社
御霊神社の本殿には、井上皇后(いがみこうご)・他戸親王(おさべしんのう)・事代主命が祀られています。
さらに本殿向かって左殿には早良親王(さわらしんのう)、藤原大夫人(ふじわらだいふじん)、藤原廣嗣(ふじわらひろつぐ)、右殿には伊予親王(いおしんのう)、橘逸勢(たちばなはやなり)、文屋宮田麿(ぶんやみやだまろ)が祀られ、本殿の事代主命を除けば計8柱の神様が鎮座しています。
鳥居脇に立札がありました。
御霊神社は桓武天皇勅願所のようです。
第50代桓武天皇の御代に井上皇后をはじめ、八柱の神様が祀られたと伝えられます。
本殿に祀られる井上(いがみ)内親王といえば、聖武天皇の皇女に当たる人物です。光仁天皇の皇后でもありましたが、巫女に天皇を呪詛(じゅそ)させたとして、皇太子の他戸親王と共に五條市の宇智郡に幽閉されます。無実の罪で幽閉された後、母子共々この世を去ることになりました。この場合の呪詛とは、神仏に祈願して恨みに思う相手を呪うことを意味します。いわゆる呪いのおまじないですね。
この事件は藤原百川(ももかわ)の謀略とも伝えられますが、そんなことはしていないのに都から遠ざけられ、挙句の果ては死に至ったわけです。
御霊神社の鳥居。
門前を東へ進むと、石仏龕で知られる十輪院があります。
井上内親王母子が亡くなった後、天災地変が頻りに起こったと云います。これは井上内親王親子の怨霊ではないかと恐れられ、五條市霊安寺町に御霊神社が創祀されることになります。時は下り延暦19年(800)に、五條市の霊安寺から遷されてきたのが今の奈良町の御霊神社とされます。
奈良の地で疫病が流行した際には、中街道に井上内親王、上街道に早良親王、下街道には他戸親王の御輿を据えて悪疫の流入を防いだと伝えられます。そう言えば、奈良市西紀寺町には早良親王を祀る崇道天皇社があります。早良親王は桓武天皇の実弟に当たる人物で、祟り神としてもよく知られていますよね。
御霊神社拝殿。
拝殿の周りには枝垂桜や牡丹も開花し、参拝客の目を楽しませてくれるそうです。季節が来れば訪れてみたいと思いますが、この写真からも拝殿向かって右側に枝垂桜のしだれる枝が見えていますね。
良縁祈願の神社らしく、御霊神社の拝殿では神前結婚式も執り行われています。
祓戸社と出世稲荷神社。
南門を入ってすぐ左側に、鮮やかな朱色の鳥居が二つ並んでいます。
左側が祓戸社、右側が恋愛の運気が上がるという出世稲荷神社です。
祓戸社の手前の木は八重桜でしょうか。
小さな境内ですが、参拝順路からいけばこの祓戸社が一番目にお参りする神社になります。
出世稲荷神社の鳥居前には、「えんむすびの神」と書かれた提灯がぶら下がります。
そんなに大きな鳥居ではありませんが、馬繋ぎの環らしきものが柱に四つ見られます。
御霊神社では人形の描かれた恋みくじも販売されており、若いカップルの姿があちこちで見られます。
御霊神社西側の門。
元興寺塔跡を左手に見ながら南へ下ってくると、注連縄と紙垂の懸けられた門戸が開いていました。ここがおそらく御霊神社の境内だろうと思い、中へ入ってみることに致しました。私の知る限りでは御霊神社の入口は、この西門と鳥居のある正面南門の二か所だと思われます。
菅原道真を祀る若宮社
御霊神社も他の神社と同じく、拝殿の後ろに本殿が控えています。
今まで御霊神社にも何度かお参りしたことがあったのですが、拝殿右後方の若宮社の存在には全く気付きませんでした。春日大社や大神神社にも若宮さんが祀られているわけですが、小さな境内の御霊神社にも若宮社が手厚く祀られていました。
拝殿向かって右側を奥へと進みます。
拝殿には黄金色の釣灯籠が下がり、本殿の瑞垣には「旅行安全・交通安全」の文字が見えます。
本殿瑞垣外、拝殿の右奥に祀られている御霊神社の若宮社。
御祭神は菅原道真公です。
左遷の憂き目に遭った道真も祟り神の一人として知られますが、御霊神社に祀られているのにも何か理由があるのでしょうか。
諸道芸能の守護神と崇められます。
例祭は7月25日に執り行われているようですね。
道真公が愛したという梅の和歌が案内されていました。
東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
若宮社鳥居前に陣取る狛犬。
耳、鼻、口と穴の開いた箇所が朱色に染まります。実に鮮やかで、印象に残る狛犬です。狛犬の脚には紐が結び付けられていますね。よく言われるように、止め事成就を祈願する紐なのでしょうか。
菅原道真といえば牛がトレードマークですが、さすがにここは狛犬のようです(笑)
御霊神社の社号標。
神社の「社」が一画多いような気がします(笑) 最後に点が打ってありますね。これは何か意味があるのか、少し気になるところです。
そもそも御霊(ごりょう)という言葉は霊魂の尊敬語でした。その「御霊」が次第に尋常ではない、”祟りを表す御魂” のことを意味するようになっていったと言われます。
京都の祇園祭も、一種の御霊を鎮めるお祭りです。疫神や死者の怨霊を鎮める御霊会は、平安時代以降に各地で行われてきた歴史があります。平安時代とは名ばかりで、世情の安定しない世の中だったのかもしれません。陰陽師の安倍晴明が活躍したのも平安時代ですよね。
本殿を垣間見ます。
赤く塗られた瑞垣の先が少し尖っているのも、ここが侵してはならない結界であることを伝えています。
若宮社の手前に祀られていた祠。
う~ん、この祠は何だったのか。残念ながらメモを残していなかったため不明です。
若宮社の奥に、夫婦和楽・家庭円満を祈願する石が祀られていました。
美しい山容を描く山の中に龕(がん)が設けられ、恵比須様と大黒様が彫られています。恵比須と大黒は並んで祀られることが多いですよね。初えびすで知られる三輪の恵比須神社境内にも、手厚く大黒様が祀られています。
いつ見ても、どこから見ても福々しい二神です。
山の中に抱かれた恵比須様と大黒様ですが、果たしてこの山は何山なのでしょうか。ここが奈良ということで、やはり三笠山辺りと推測するのが妥当でしょうね。
拝殿に吊るされた提灯には、五七桐の御神紋が描かれています。
日本国をシンボライズする御紋からも、奈良御霊神社の重要性がうかがえますね。
御霊神社が最も賑わうのは10月に催される秋祭りの日です。
平安朝衣装を着た70人弱の行列が、ならまちエリアを神輿を引いて練り歩きます。約5,000軒と言われる氏子を回る華やかなイベントで、普段静かな境内からは想像もできないぐらいの賑わいを見せます。神輿渡御は10月13日の正午から執り行われますので、スケジュール調整をして見学してみられることをおすすめ致します。毎年10月12日、13日開催の秋季例大祭は必見です。
御霊神社の拝観料は特に必要ありません。
近鉄奈良駅からのアクセスは徒歩15分ですが、バスを利用される方はJR・近鉄奈良駅から市内循環バス「田中町」を下車して徒歩5分となっています。
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