高取町の町家のかかし巡りに出掛けた際、土佐街道沿いにある「街の駅城跡」でキトラ古墳に出会いました。
元JAだった建物を改装して作られた「街の駅城跡(きせき)」は、案山子巡りなどのイベント時にはメイン会場として利用されます。敷地内にはカフェや市場もあり、人の集う賑やかな場所となっています。土佐街道沿いでキトラ古墳復元石室を見学できるとは、ちょっとした驚きでした。
キトラ古墳復元石室の中。
四神に獣頭人身十二支像、それにキトラ天文図が描かれています。
74個以上の星座を金箔で表現
古代人が仰いだ満天の星空に思いをはせます。
飛鳥資料館では秋期特別展「キトラ古墳と天の科学展」が催されていますが、高松塚星宿図よりもより精密に描かれたキトラ天文図に対する興味は尽きません。
キトラ天文図には、三重の同心円(内規、天の赤道、外規)の他、北西にずれた円(黄道)が朱線で描かれています。太陽の通り道である黄道もきちんと表現されているのです。それらの円の中には350個以上の星が配され、朱線で結ばれた74個以上の星座が金箔を使って見事に表現されています。
高松塚古墳復元石室とキトラ古墳復元石室。
街の駅城跡の倉庫のような場所に、明日香村を代表する二つの古墳石室が復元されていました。なぜか復元石室の前には神明鳥居が立てられています(笑) かかし巡りのイベント期間中だったためか、案山子が椅子に腰を下ろしています。
キトラ古墳天文図は現存する世界最古の本格的天文図とされます。
キトラ古墳復元石室の手前に解説パネルがありました。
天文図の東西に日輪、月輪があり、昇る朝日に心沸き立ち、浮かぶ望月に静夜の安らぎを覚えます。
壁の上方を巡る四神は、武器・武具を持って、昇天する魂の護衛をします。
被葬者の魂は安らかに天門をくぐり、陰陽五行説に則った理想的な昇天ができます。
飛鳥資料館のキトラ天文図では、数多の星と日像に金箔、月像に銀箔が貼られ、往時の輝きが見事に再現されています。
キトラ天文図は中国で考え出された星座を元にしています。私たちに馴染みのある西洋星座ではないことを記しておきます。中国固有の二十八宿(にじゅうはっしゅく)と呼ばれる28星座の体系に基づくキトラ天文図。高松塚古墳星宿図にも二十八宿が配されていますが、キトラ天文図に見られるような四つの円は存在しません。約80cm四方のほぼ正方形の範囲内に28個の星宿などが配されているのみです。星の数も140個ほどで、350個以上のキトラ天文図には遠く及びません。
どの場所で見上げた星空なのか?
キトラ天文図の描かれた場所は気になるところです。その観測地を北緯34度付近とする説や、今のソウル周辺の夜空とする北緯37.6度説などがあります。ソウル説を唱える人は、中国で作られた原図が朝鮮半島に伝わり、アレンジされた星図が飛鳥に伝わったのではないかと考えます。北緯34度説は長安や洛陽など、歴代中国王朝が都を置いた黄河中流域の可能性を示唆しています。
北の方角を守る玄武(四神)と、獣頭人身の十二支像。
より精密に描かれているからでしょうか、円形の金箔で表現された星の大きさはキトラ天文図が直径6mmなのに対し、高松塚星宿図のそれは直径8mmとされます。星のサイズは高松塚の方が少し大きいようです。
また星と星を結ぶ朱線は、キトラ天文図が波打っているのに対し、高松塚星宿図は直線的です。定規のような道具を使って描かれたものと思われます。よく比較の対象になるキトラ古墳と高松塚古墳ですが、その星空を描いた天文図にも違いが見られて興味深いですね。
「絵師が描いたキトラの世界観」
北枕に仰向けになった被葬者が棺を通して、間近に天文図が見え、無限の宇宙を感じます。
四方を四神に守られるだけでなく、天空にも無限大の宇宙が広がっている。棺に納められた人物も、きっと幸せだったのではないでしょうか。当時の絵師は高句麗系が主流だったようですが、その他にも中国系や百済系の絵師もいたようです。
街の駅城跡からキトラ古墳までは徒歩圏内です。
イベント会場の城跡(きせき)から土佐街道を少し下って東へ取れば、程なくキトラ古墳に辿り着きます。現在のキトラ古墳は劣化が進んだため、全て剥ぎ取られて明日香村内の仮設施設で修理中です。修理が終われば、キトラ古墳近くに完成予定の体験学習館に於いて保存・展示されることになっています。
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