2010年の遷都祭以来、久しぶりに平城宮跡を訪れて参りました。
遷都際の時には、朱雀門近くの平城京歴史館を見学することができませんでした。今回はタイミングが良かったのか、当館に平城京歴史館のイベントちらしが届きました。いい機会だと思い、一路平城宮跡を目指します。しかしながら、生憎の雨です。決して行楽日和というわけではありませんでしたが、遣唐使船をはじめとする様々な歴史に触れることができ、新たな知見を得る一日となりました。
平城京歴史館と遣唐使船復原展示。
復原された遣唐使船の前には、何やら日本地図のようなものが描かれていました。
網代帆が印象的な遣唐使船見学
平城京歴史館の中は基本的に写真撮影が禁止されています。
写真撮影OKなのは、屋外に展示されている復原版遣唐使船の中ぐらいでしょうか。
船首に近い場所に網代帆(あじろほ)が掛けられていました。
左向こうに見えているのが、平城京南の玄関口・朱雀門です。雨が降ると、残念ながら遣唐使船の中も濡れてしまいます。暴風雨の中も航海した遣唐使船に想いを馳せ、船上のあちこちを撮影して回ります(笑)
網代(あじろ)とは、要するに「網に代わるもの」という意味です。網の代用品なわけですが、漁具として使われてきた歴史はよく知られるところです。網代はまた、檜や竹、葦などを薄く削って縦横斜めに編んだものを指すこともあります。垣根や屏風、天井などにも使われた網代。その網代が船の帆としても使用されていたのです。
復原された遣唐使船の網代帆。
網代帆は竹や葦(あし)を薄く削った物を平らに編んで作った網代を竹で縛って継 (つな)ぎ合わせた帆です。
網代帆は堅い帆ですから意外に性能が良いのですが、風が編目から抜けるのと重いのが欠点です。中国では19世紀頃まで 長い間使われ続けました。 布の帆は風を受けると袋のようになりますので、布製が普及しても中国では帆に竹を結びつけて帆が袋のようになるのを 防いでいました。日本では網代帆を使わず藁(わら)を編んだ筵(むしろ)を継ぎ合わせた帆を使いましたが、遣唐使船や江戸時代の朱印船 (しゅいんせん)などの絵画では網代帆で描かれています。
編目から風が抜けるのが欠点と案内されていますが、本来ならそこがまた網代の長所でもあるんですけどね(笑)
ぐるっとバス平城宮跡ルートで平城京歴史館へアクセス
普段であればマイカーで平城宮跡へ向かうところだったのですが、今回はJRで奈良駅まで行き、JR奈良駅西口から出ているぐるっとバスに乗って朱雀門へ向かいました。ぐるっとバスの路線は、奈良公園ルートと平城宮跡ルートの2路線が用意されています。通年土日祝日の運行で、運行ダイヤも結構密に設定されています。目的地を問わず、乗車運賃は一律100円です。
後で分かったことなのですが、平城宮跡ルートの路線図を確認してみると、ぐるっと一周回る過程でJR奈良駅西口を2回通過しています。奈良公園ルートでは1回のみなので、平城宮跡ルートではJR奈良駅西口が一つの拠点になっていることが分かります。
ぐるっとバス(Gurutto Bus)平城宮跡ルートのバス停「朱雀門」。
向こうに平城宮跡の玄関口・朱雀門が見えています。平城宮跡は英語で、Nara Palace Site と言うようですね。
花壇には花が植えられていました。
ぐるっとバスの運行ダイヤは午前9時から午後5時20分まで続いており、毎回20分間隔で運行しています。奈良公園ルートが15分間隔ですから、それよりは間が空きますが、少々乗り遅れても心配ご無用の便利なバスです。
平城宮跡ルートの停留所を記しておきますので、途中下車される方はどうぞご参照下さい。
JR奈良駅西口→奈良市庁前→法華寺・海龍王寺→大極殿→朱雀門→奈良市庁前→JR奈良駅西口→ならまち・なら工藝館→奈良ホテル→奈良公園前(県庁前)→近鉄奈良駅
ぐるぐる周っていますので、近鉄奈良駅の次の停留所は再びJR奈良駅西口となります。
バス停「朱雀門」の近くに、屋根付きの休憩所がありました。
バスの待合室も兼ねているものと思われます。平城京歴史館の場所が案内されていました。
矢印の方向に従って行くと、平城京歴史館のシンボルである遣唐使船が見えて参りました。
遣唐使船の全長は30メートル、全幅(ぜんぷく)は9.6メートルにも及びます。遣唐使船のちょうど向こう側の建物内に、遣唐使シアターと平城京VRシアターが設けられています。二つの映画館をすっぽり隠すぐらいの大きさです。
船体の外側に張り出した艪棚(ろだな)も確認できます。
艪棚の下には竹の束が見られますね。普段の遣唐使船は、帆で航海していたと伝えられます。しかしながら、無風状態の時や陸地に近寄る時などは艪で漕いでいたのではないかと言われます。そのため多くの漕ぎ手を乗船させ、あるいは漂着地での安全確保のために、多くの射手も乗船させていたのではないかと伝えられます。
艪棚は ”大自然の中のおトイレ” としても利用されていたのではないでしょうか。
平城京歴史館前の日本地図。
日本列島のほぼ真ん中に丸い印が付けられていますが、おそらく奈良の都・平城京の場所が示されているのではないでしょうか。
平城京歴史館の入口近くに、古代衣装を身に着けたせんとくんの後ろ姿が見えます。
船首の下には、碇のようなものも見られます。
映像で綴る遣唐使の時代
平城京歴史館は一口で言うと、映像を楽しむ施設です。
復原された遣唐使船を除いては、特に展示品が充実しているわけでもなく、遣唐使の時代を様々な角度から切り取った映像作品を楽しむ施設と言えるでしょう。
船尾近くの賄い部屋と遣唐大使の部屋。
手前が賄い部屋で、船尾に一番近い部屋が遣唐大使の部屋です。船体の中で最も揺れが少ないのが船尾ということで、ちょうどその場所に一番偉い遣唐大使の部屋が設けられています。
賄い部屋は遣唐使船を描いた「吉備大臣入唐絵詞」などを元に復元されています。当然のことですが、航海中も食事を摂らなければなりません。賄い部屋には竈(かまど)があったのではないかと推測されています。
遣唐使船の航海中には、1日あたり干飯(ほしいい)1升と水1升が支給されたそうです。干飯とは、長く蓄えるために天日で乾燥させた飯のことですが、水や湯に浸して食べられました。
遣唐使シアター上映作品「波濤を超えて~遣唐使の航海~」。
遣唐使たちが命がけで大海を渡って運んだものが、奈良時代の日本の国づくりや文化の発展を支えたことを紹介。
物語の場面は752年、唐を目指す吉備真備らの姿を追います。長安での皇帝との謁見、鑑真和上の招聘、阿倍仲麻呂との再会などが描かれていました。桜井市の安倍文殊院境内には仲麻呂望郷しだれ桜が咲きますが、再び日本の土を踏むことができなかった阿倍仲麻呂の無念を想います。
ここから、平城京歴史館の館内の様子をレポート致します。
まずは平城京歴史館の入口でチケットを購入します。券売機で購入するんですが、料金は500円でした。
歴史館の中に入ると、まずは日本と大陸を隔てる海をイメージしたタイムトンネルが出迎えてくれます。
そこには高松塚古墳の模擬壁画が展示されていて、手で触ることもできました。タイムトンネルの中には女性ガイドが立っておられ、さらに中へと案内されます。
中に入ると、せんとくんと司馬達等・粟田真人(あわたのまひと)が紹介する「古代のアジアと日本の歴史」、2世紀から8世紀にかけての「激動の東アジア」、太安万侶や山上憶良、行基が伝える「平城京のくらしと文化」、日本・中国大陸・朝鮮半島の「東アジア史年表」と続きます。あちこちで映像と音声が流れていて、隣りのブースに居ても音が漏れています(笑)
東アジア史年表の次は、迫力ある3面ワイドスクリーンの遣唐使シアターが待っています。
遣唐使シアターを見終えると、いよいよメインの平城京VRシアターへと進みます。平城京VRシアターは2本立てでそれぞれ上映時間が定められています。途中から見ることもできますが、出来れば最初から見ることをおすすめ致します。
遣唐使船の諸元(しょげん)。
諸元ってどういう意味なんだろう?と思って辞書を引いてみました。諸元とは「いろいろの因子」という意味なんだそうです。
全長30m、全幅9.6m、排水量300トン、積載荷重150トンとその諸元が案内されていました。
遣唐使船の船尾部分。
平城京VRシアターで上映作品を見終った後、外に展示されている遣唐使船を見学します。
バーチャルリアリティーを駆使した5面マルチスクリーンの平城京VRシアターですが、その待ち時間に遣唐使船を見学してみるのもいいですね。行ったり来たりしながら、復元された遣唐使船を思う存分堪能します。
遣唐使船の主舵。
船尾の中央には舵があります。甲板上の通行の邪魔になるので舵柄(かじつか)を取り外して置いてありますが、本来は舵柄を舵の頭に差し込んで数人がかりで舵を取りました。
この船では水面から下は作ってありませんが、舵は舵効きを良くするために船体よりも下に突き出ていますから、浅い所では舵が海底に当たらないように少し巻き上げる必要がありました。
船尾の主舵が解説されていました。
さすがに、船体下に突き出た舵までは復原展示されていないようです。
平城京VRシアター上映作品「平城京 安らけし都」。
聖武天皇・光明皇后の皇女として生まれ、やがて女帝となることを運命づけられていた聡明な少女、阿倍内親王。飢饉や反乱に苦しむ国を憂い煩悶の日々を送っていた。そんな彼女をさらに悩ませる出来事が・・・。
平城VRシアターでは「平城京 安らけし都」の他にも、「平城京 はじまりの都」と題する作品が上映されていました。
通訳として平城京にとどまった外国使節団の一員の回想物語が、画面いっぱいのバーチャルリアリティーで展開していきます。朱雀門や大極殿を案内する粟田真人や若者との対話、元日の儀式の様子などが描かれます。
平城京VRシアターで上映作品を鑑賞し、その待ち時間に遣唐使船復原展示を楽しみます。
遣唐使船の渡航コース
遣唐使船の航路には北路と南路がありました。
遣唐使派遣時代の前半は北路、後半は南路が中心でした。
渡航コースの変更理由は何だったのでしょうか?その主な理由に大陸との緊張関係が挙げられます。
西暦663年の白村江の戦いで日本は朝鮮半島での足場を失くします。さらには新羅が台頭したため、北路での遣唐使派遣が不可能になってしまいました。
こちらが遣唐大使の部屋ですね。
やはり見た目的にも一番立派に作られているような気が致します。
遣唐使船の航海。
初期の遣唐使船は朝鮮半島に沿って航海しましたが、奈良時代には九州から揚子江の北あたりに向けて直行しました。
磁石も海図もない時代ですから、星や太陽を見て走り、陸地が見えるとどのあたりかを判断し、目的地に向かうような航海でした。
大自然と会話をしながら航海していた様子がうかがえます。
遣唐使の派遣は、西暦630年の犬上御田鋤(いぬがみのみたすき)に始まります。
西暦894年に菅原道真が停止するまで、実に20回の派遣が企画されました。しかしながら、実際に唐に渡ったのは15回とされています。渡航回数にずれがあるのは、天候不順による中止が度々あったものと思われます。遣唐使廃止を「白紙(894)に戻す」の語呂合わせで覚えましたよね(笑)
遣唐使船の船首部分。
平城京歴史館の建物に向けて、せり上がるように伸びています。
「上がらないでください No entry」の案内板が出ています。
確かにこの注意書きがないと、ここへ上っていく人もいらっしゃるでしょうね。
洒落ではありませんが、一度航海に出てしまえば後悔など出来ないのです。
後悔先に立たずです。
今の時代、カーナビをはじめとするナビゲーションシステムが雨後の筍のように出てきています。スマホのアプリにも、様々な種類のナビが活躍しています。行き先を機械が教えてくれるなど、遣唐使の時代に生きた人たちは想像もできなかったでしょう。
遣唐使船の雑居部屋。
現代の船旅では個室に寝泊りしていますが、18世紀頃には個室を持っていたのは船長くらいで、それ以外はお客さんでも大部屋で雑居でした。今でもフェリーには料金の安い大部屋でゴロ寝の客室があります。
遣唐使船の時代には、もちろんほとんどの人は甲板の下の積荷の間などで寝ていたのでしょう。
甲板の下に棚を吊って寝るようにしていたかもしれません。
なるほど、大部屋もあったのですね。
見ても分かりますが、この雑居部屋のスペースは限られています。明らかに甲板下が大部屋的に利用されていたものと思われます。
遣唐使船に乗船する人たちは、皆それぞれに使命を帯びていました。
遣唐大使や遣唐副使の他にも、留学生、留学僧、通訳・医師・技術者・船員などが乗り込んでいました。当時の先進国であった唐へ渡り、様々なものを吸収して帰国の途に就いた遣唐使たち。平城京の国造りに生かされたことは言うまでもありません。
遣唐使船の積荷。
日本からは唐の皇帝に献上する品として、水銀や水晶、真珠、瑪瑙(めのう)などの宝石類、出火鉄(火打ち石で火を起こすためのもの)、椿油や漆といった日本各地から税として都に集まった貴重な品物が運ばれました。
日本が誇る逸品の数々が、遣唐使船に船積みされていたようです。
唐からの帰りの船には、大変貴重な経典も載せられていたはずです。
遣唐使シアターで観た映画の一場面に、荒れ狂う暴風雨の中、船員が積荷を海へ捨て去ろうとするシーンがありました。少しでも船体を軽くして沈没を防ぐための手段だったと思われますが、それを鬼の形相で遮った遣唐使の姿が目に焼き付いています。
平城京歴史館のエントランスホールには、手作りのウェルカムボードが設置されています。
スタッフお手製のウェルカムボードで、季節によって模様替えされます。
イベント情報と共に、入口左手に設置されています。今回私は見逃してしまいましたが、そんなところに着目してみるのも面白いかもしれません。
<復原遣唐使船が見学できる平城京歴史館>
住所:奈良県奈良市二条大路4-6-1
<平城宮跡の関連情報>
- 平城京歴史館のTwitter公式アカウント
- 四天王が降臨する大立山まつり(大極殿前ステージで伝統行事奉納)
- 高御座が印象的な遷都祭主会場(天皇の玉座)
- 棚田嘉十郎が生涯を捧げた平城宮跡(奈良の宿泊予約 料理旅館大正楼)
- 入館料 :大人500円 高校・大学生250円 小・中学生200円
- 開館時間:9時~16時30分(入館は16時まで)
- 休館日 :月曜日(月曜日が祝日の場合、翌平日) 年末年始
- アクセス:近鉄大和西大寺駅南口下車徒歩20分