入室無料の藤原京資料室。
藤原京資料室は藤原宮跡大極殿跡の西の、JAならけん橿原東部経済センター2階に開放された学習スペースです。世界遺産登録を目指す「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産である特別史跡藤原宮跡の理解を深めることを目的に、平成18年10月にオープンしています。
藤原京の柱。
資料室の中に入ると、常時ボランティアガイドの方が待機なさっています。見学の途中に色々質問もでき、即座にその答えが返って来ます。藤原宮跡を学習するに当たって、これ以上には無い施設ではないでしょうか。ガイドの方のお話によれば、この柱は藤原宮跡から出土した本物の柱ということでした。
長い年月を経て、21世紀の今の世に蘇ります。
藤原京の千分の一模型を見学
ここの資料室のウリは何と言っても、藤原京の1,000分の1模型です。
数年前にも藤原京資料室を訪れ、興福寺の前身であるウラン坊廃寺の存在を千分の一模型によって知りました。精巧に作られた藤原京の模型は、日本史ファンならずとも、その世界に引き込まれること必至だと思われます。
航空写真を手中に収めたような満足感に浸ることができます。飛鳥資料館の入口近くにあった立体模型よりもはるかに大きく、そのスケールの大きさに驚きます。
藤原京出土の瓦。
もちろん、この瓦も正真正銘の本物です。レプリカなどではありません。欠けたり割れたりしていますが、藤原京時代に使われた軒丸瓦がガラスケースの中に展示されていました。この時代にはよく見られる蓮華文様が刻まれています。
泥の中からでも清浄な花を咲かせる蓮。仏の教えにもかなう蓮は、古来より様々な意匠に使われてきました。
特別史跡藤原宮跡の駐車場。
「文化庁」と書かれていますね。文化庁お墨付きの藤原宮跡の駐車場が、道を挟んで橿原市藤原京資料室の前にありました。藤原京資料室を見学する際には、資料室横に普通車30台ほどが駐車できる無料駐車場があります。そこに車を停めてもいいのですが、今回はそのすぐ傍にある藤原宮跡の駐車場に車を停めました。
「お手を触れないよう、お願いします」
毛氈の上に置かれ、藤原京資料室の入口付近で出迎えてくれます。藤原京に実際に使われていた柱ですから、触れることはご法度です。
手前に案内プレートがありました。
藤原京の柱
日本古文化研究所調査 藤原京期
と記されています。日本古文化研究所とは聞き慣れない名前ですが、どうやら三菱財閥の岩崎小弥太(いわさきこやた)の援助を受けて創設された組織のようです。
藤原宮跡の向こうに天香久山を望みます。
何やら黄色い花の絨毯が見えますね。何の花でしょうか?醍醐池北側の菜の花は既に開花時期を過ぎていましたので、菜の花ではないように思われます。
藤原宮跡から望む大和三山の風景は格別ですね。
その稜線の眺めが、平成23年6月に重要眺望景観に指定されました。特に藤原宮跡から香具山方向に開ける展望には、近代建築物が一切映り込みません。そのためか、「光男の栗」「朱花の月(はねづのつき)」等の映画の撮影舞台にもなり、知る人ぞ知る日本の原風景として人気を誇ります。
藤原宮跡に開花する花も見所の一つ
藤原宮跡では四季を通じて様々な花を楽しむことができます。
今回訪れた藤原宮跡内には目立った花は見られませんでしたが、今までに何度も足を運んでいる藤原宮跡。藤原宮跡駐車場近くに開花するアザミ、朝堂院東門の列柱近くに開花するハス、鶏のトサカを思わせる鶏頭(ケイトウ)、広大なコスモス畑等々、エリア内に開花する花の種類は多岐に渡ります。
広大な敷地面積を誇る藤原宮跡ですから、ピクニック気分で花を愛でるのもおすすめです。
藤原京資料室近くの道路沿いに地図がありました。
大和三山(香久山、耳成山、畝傍山)に囲まれる藤原宮跡の位置取りがよく分かります。この地図で言えば、左側の耳成山方向が北を指します。香久山の麓に、奈文研の藤原宮跡資料室が案内されています。数年前に訪れた場所ですが、牛のくびきが展示されていたのを思い出します。
こうして見ると、藤原宮跡の東西に藤原京にまつわる学習スポットがあることが分かります。
ノコギリ状の鋸歯文が瓦の周りに見られます。
とんがったギザギザ模様には、魔除けの意味が込められていると言います。昔の人は、木造建築物を火災から守るために様々な工夫を凝らしていたのではないでしょうか。今春に興福寺中金堂の再建現場を見学しましたが、その時にも屋根瓦に施された「鋸歯文」を確認しています。
ウラン坊廃寺が興福寺の前身であることを、藤原京資料室のボランティアガイドの方に教えて頂きました。興福寺と似た文様の瓦が使われていたことに、お互いの共通点を見出します。
藤原宮跡に開花する花が案内されています。
醍醐池の北側に菜の花が咲き、その西側にはキバナコスモスが開花します。藤原京資料室から道を挟んだ東側エリアにはコスモスやハナハスが開花します。藤原宮跡のハナハスはまだ見たことがないので、開花時期が来たら是非訪れてみたいと思います。
この地図を見ても分かりますが、薔薇や風鈴で人気のおふさ観音(小房観音)は藤原京資料室からも徒歩圏内です。少し距離はありますが、JR畝傍駅からこの辺りまで歩くのもいいのではないでしょうか。古い町並みを通る歴史散策が楽しめます。少しルートを外れれば、お伊勢参りの面影を残す八木札の辻方面へもアクセス可能です。
藤原京資料室前の道路を北へ向かうと、黄色い菜の花の幟旗が立っていました。
開花状況はどうかなと思ってチェックしてみましたが、残念ながら既に終わっていました。
特別史跡藤原宮跡の案内板。
大極殿や朝堂院などの国の重要施設や、天皇の住まいである内裏などが案内されています。
藤原京は694年から710年までの、わずか16年間の日本の都でした。平城遷都を一つの区切りとしてその役目を終えたわけですが、持統天皇の人気と共に、今もなお歴史ファンを引き付けてやまない場所です。
夫である天武天皇が崩御した後、西暦690年に即位した持統天皇。
即位後も持統天皇は、夫と共に夢見たかねてからの大事業である都造りに邁進することになります。藤原京の大極殿跡の位置は、東経135度48分44秒に当たります。その大極殿から遥か4㎞南には天武持統天皇陵が佇みます。天武天皇と持統天皇が合葬されているお墓です。
明日香村野口にある天武持統天皇陵の位置も、寸分違わず藤原京大極殿跡と同じ東経135度48分44秒であると言われます。
当時勢力を誇った隣国・唐にも引けを取らない国造りを目指した持統天皇。
天武天皇亡き後、その悲願を達成した持統天皇は、藤原京大極殿に立って夫の居る南方に想いを馳せていたのではないでしょうか。
菜の花の開花する場所は、藤原京時代の内裏に当たります。
醍醐池から道を挟んで南側に、赤い色で四角く囲まれた場所がありますが、そこが藤原京の中核を成す大極殿跡です。さらに上の方に目をやると、藤原京の北側に幾つかの門が案内されていますね。西から順に海犬養門、猪使門、丹比門と続きます。
バラまつり前のおふさ観音。
藤原京資料室から西へ徒歩10分ほどの場所にあります。
藤原京出土の軒平瓦に動物のようなものが描かれています。
尻尾をなびかせていますね、ネズミでしょうか?
瓦や柱の出土品の他にも、資料室内には記念撮影用の看板や古代衣装をまとった人形なども置かれています。映像学習のできる大型モニターも設置されており、藤原京の様子を詳しく再現したコンピュータグラフィックスを楽しむことができます。
藤原京資料室の開館時間は、午前9時から午後5時まで(最終入室は午後4時30分まで)です。毎週月曜日と年末年始が休館日。入館料は無料で、駐車場も無料で利用することができます。
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