堀川通一条にある長さ7~8mの小さな橋。
死者が蘇るとも言われ、様々なエピソードで後世に語り継がれる一条戻橋をご案内。
堀川に架かる一条戻橋。
現在はコンクリート造りですが、昔は木造の橋だったと伝わります。都へ入る要衝でもあり、人通りの多い橋として知られていました。
渡辺綱と鬼女!一条戻橋に晒された千利休の首
これほど言い伝えの多い橋は無いでしょう。
歴史を重ねながら、様々な伝説に彩られています。
安倍晴明を祀る晴明神社の境内にも、摩訶不思議な一条戻橋が再現されています。
魔界スポットとして有名な一条戻橋らしく、本物の一条戻橋も陰陽師・安倍晴明を祀る神社近くに架けられていました。
晴明神社の一条戻橋の袂に佇む式神。
魔法使いのお婆さんのような風貌です(笑)
安倍晴明は式神を自由自在に操り、普段は一条戻橋の下に封じたと伝えられます。
堀川通一条に架けられた本物の一条戻橋。
この橋を渡ると、死者が生き返るという謂れがあります。太平洋戦争の最中には、出征兵士が一条戻橋を渡って無事に帰還することを祈願したそうです。
晴明神社の安倍晴明公。
一条戻橋にまつわる、奇異なエピソードを幾つかご案内します。
平安時代の918年のこと、文章博士の三善清行が亡くなりました。葬列が京都の一条戻橋に差し掛かった際、熊野に修行に出掛けていた息子の浄蔵が父の葬列と出会います。浄蔵は父の亡骸にすがって泣き、読経を始めたそうです。
そうすると、どうでしょう!
不思議なことに父が息を吹き返したと言われます。
晴明神社の一条戻橋。
死者が蘇ると言えば縁起の良い場所にも思えますが、一条戻橋には別の顔もありました。なんと、鬼が出て人を襲う場所でもあったのです。
藤原道長の御代、剛腕の渡辺綱(わたなべのつな)が一条戻橋にさしかかった時、一人の美女が現れ、綱に声を掛けて館まで送ってほしいと懇願してきました。綱が承諾すると、美女はいきなり鬼に豹変し、綱の髪をつかんで愛宕山の方へ飛び去ろうとしました。
渡辺綱は咄嗟に刀を抜き、鬼女の腕を一刀のもとに斬り落としたと伝えられます。
腕を斬り落とされた鬼女は、必ずや腕を取り返しに来ると叫びながら逃げたと言われます。
中世になると、この橋は罪人のさらし場所にもなりました。
秀吉によって切腹を命ぜられた千利休の首は、ここ一条戻橋にさらされたと伝わります。1597年には、「日本二六聖人」と呼ばれたキリシタンが、秀吉の命によって一条戻橋の上で耳を斬り落とされ、処刑地の長崎へと向って行ったそうです。
秀吉を祀る豊国神社の近くに、恐ろしい歴史を物語る耳塚が残されています。それにしても秀吉は、耳を斬り落とすのが好きだったのでしょうか。
様々な恐ろしい逸話が残される一条戻橋。
京都の魔界観光には欠かせない名所の一つとして覚えておきましょう。