大和神社からJR長柄駅へ向かう途中、日本がくぐり抜けてきた戦争の歴史を垣間見ることになりました。
大和神社の境内に、JR長柄駅まで500mの道のりが案内されています。
大正3年に開業した長柄駅は兵庫(ひょうご)町に位置しています。兵庫という地名からは昔の武器庫が連想されますね。奈良県内ではここ以外にも、高市郡高取町に旧大字兵庫が残されています。
素戔嗚神社と辰巳戦没碑
長柄は天理市内にあります。
同じく天理市に鎮座する石上神宮は古代における物部氏の武器庫であったと伝えられます。
道中に「兵庫町牛頭 素戔嗚神社」と書かれたお札を見つけました。
兵庫という地名に関しては、「和名抄」に兵庫(ツハモノクラ)ノツカサという記述があります。
長柄の西に位置する西長柄町は、戦時中における柳本飛行場(大和海軍航空隊大和基地)のあった場所とされます。現在も防空壕の跡が見られ、戦争の爪痕を感じるエリアとなっています。
素戔嗚神社の鳥居。
長柄という地名は、「長原」に由来するものと思われます。
当館は夏休みの合宿施設としてもご利用頂いていますが、天理市の長柄運動公園をご予約になられる学生さんも数多くいらっしゃいます。小さい頃、広い運動公園で父親に遊んでもらったことを思い出します。
そうなんです、今でも長柄には広い原っぱが広がっているのです。
JR桜井線改め、JR万葉まほろば線の長柄駅。
「戦艦大和」の戦没者の霊を祀る大和神社は、長柄駅から徒歩圏内にあります。
大和神社から長柄駅へ向かう途中、「辰巳戦没碑」と書かれた石碑に出会いました。
辰巳戦がどのような戦争だったのか知る由もありませんが、今も長柄の街に戦争の影が色濃く残されています。
大和神社の鎮座する方向を望みます。
その参道は、戦艦大和の船体と同じ長さに設計されていると伝わります。長柄は「長原」で、戦時中は柳本飛行場のあった場所。長閑な万葉歌碑の連なる山の辺の道から少し西に外れると、戦争の臭いが今も残る長柄の街並みが広がっています。