藤原宮跡に隣接する橿原市藤原京資料室を訪れてみました。
今回の見学で興味深かったのがウラン坊廃寺という珍しい名前の寺跡。藤原京千分の一模型をまじまじと見ていると、資料室の係の方からお声掛けを頂きました。
藤原京千分の一模型。
見瀬丸山古墳、軽寺、ウラン坊廃寺などが案内されていました。
ウラン坊廃寺の歴史
ウラン坊廃寺って?
藤原京資料室の係の方の解説によると、ウラン坊廃寺は後に平城遷都に伴い、奈良市内へ移り興福寺になったというお話でした。
何を隠そう、ウラン坊廃寺は興福寺の前身というわけですね。
藤原京資料室。
JAの支店の横にあり、この入口から二階に上がっていくと、藤原京千分の一模型を中心とした資料室があります。藤原京にまつわるビデオ上映も楽しむことができます。
平山郁夫画伯作の藤原京と大和三山。
資料室の模型の横にディスプレイされていました。
藤原京を囲むように、東に天香具山、西に畝傍山、北に耳成山が描かれています。
ウラン坊廃寺は、位置的には藤原京の南西方向に当たります。阿修羅像が人気の興福寺にも意外な歴史があったんですね。興福寺は京都の宇治の近くに創建された山階寺をその発端とするようですが、そこから橿原市石川町の小字ウラン坊へ移り、さらに平城遷都で現在の場所まで移って来ました。
手前の古墳が見瀬丸山古墳、向こう側に四角く区切られたエリアが藤原京、左側にこんもり見える山が畝傍山です。
藤原氏の氏寺であった厩坂寺(うまさかでら)。
厩坂寺がウラン坊廃寺ということになるのでしょうか。
国道169号線を吉野方面へ南下していると、近鉄橿原神宮前駅の前辺りに「丈六」という名前の交差点を目にします。この丈六交差点を東へ進むと、すぐ左手にコンビニが見えて参りますが、その背後にこんもりとした土壇を確認することができます。その土壇が厩坂寺跡伝承地とされます。
藤原京資料室の駐車場に張られていた横断幕。
世界遺産登録を目指す「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」。特別史跡の藤原宮跡もその構成資産の一部を占めています。
蘇我馬子の精舎(仏殿)候補地ともされる橿原市石川町の小字ウラン坊。
敏達(びたつ)13年に当たる584年、朝鮮半島の百済から伝わった石仏を譲り受けた蘇我馬子。石川の自宅を精舎として祀ることにより、仏教支持宣言をしたことは広く知られるところです。
日本最古の本格的仏教寺院である飛鳥寺は、その後の588年に発願され、推古天皇4年の596年に竣工しています。
日本仏教が産声を上げた場所を藤原京資料室で確認することができました。
藤原京資料室から少し南へ行けば、ホテイアオイで有名な本薬師寺跡があります。本薬師寺跡は薬師寺の前身です。飛鳥寺(法興寺)は現在の世界遺産で知られる元興寺です。飛鳥から奈良へ都が遷された歴史が手に取るように分かりますよね。
本興福寺のウラン坊廃寺をこの機会に是非覚えておきましょう。