奈良時代の三輪山。
そこには、大御輪寺(だいごりんじ・おおみわでら)や浄願寺などの寺院が建っていました。
大神神社の天皇社から平等寺へ向かう途中に、狛狐が見守る成願稲荷神社が鎮座していますが、このお社は浄願寺の鎮守社でした。大御輪寺は今の若宮社に当たります。
山の辺の道に立つ檜原神社の道標。その向こう側に神体山・三輪山を望みます。
三輪山そのものを御神体とする大神神社は、日本最古の神社の一つとされ、大和国一之宮にも名を連ねています。
明治初年の神仏分離・廃仏毀釈の難を被るまでの間、三輪山は神仏習合の密教霊地と化し、三輪流神道の道場にもなっていました。三輪山の麓の大御輪寺に収められていた十一面観音菩薩像は、神仏分離の際に聖林寺に移され、現在では国宝仏像として数多くの仏像ファンを魅了しています。
比叡山の麓にも祀られる三輪明神
滋賀県大津市坂本の日吉大社の西本殿には、大己貴神(おおなむちのかみ)が祀られています。大己貴命は大物主命のことであり、三輪の神様が比叡山の麓にも祀られていることになります。
平安京の鬼門に位置する比叡山は、古来より類まれなる霊山として崇められてきました。歴史をさかのぼれば、天智天皇が大津宮を造営する際に、大和の三輪大神を勧請して祭祀したのが日吉大社だったということが分かります。
三輪山と彼岸花。
比叡山の名前が初めて文献に登場するのは、かの有名な古事記です。
大山咋神(おおやまくいのかみ)、またの名は山末之大主神、この神は近淡海(ちかつあふみのくに)の日枝(ひえ)の山に坐(ま)し
と出ています。日枝は比叡のことで、大山咋神は比叡山の地主神のことを表しています。日吉大社の西本殿に三輪明神が祀られているのに対し、東本殿には大山咋神が祀られています。東本殿も西本殿も国宝に指定される建造物であり、そこに手厚く祀られる神様がいかに重要であるかは想像に難くありません。
三輪山の神様の霊格の高さを改めて知らされます。
三輪山登山に訪れる観光客も数多くいらっしゃいますが、その山頂には太陽信仰の象徴である神坐(みわにいます)日向神社が鎮座しています。
三輪山とコスモス。
古代聖地の三輪山は、その長い歴史の中で神仏習合の道場的役割をも担っていました。古都散策の王道である神社とお寺ではありますが、全てを包み込む温かい雰囲気の三輪山には、その両方の空気が今もどこかに感じられます。
三輪山の麓で旅館を経営しながら、日々新たなことを学んでいきます。
三輪山は奥が深い。
そう思わずにはいられない無限大の広がりを感じます。
<三輪明神大神神社の関連情報>