鎌倉時代後期の地蔵石仏。
四天王寺地蔵山の右手前に、微笑みを浮かべるお地蔵さんが祀られています。
像高170cmの立派な地蔵菩薩立像で、赤い前掛けの厚みが印象に残りました。
四天王寺の融通地蔵。
右手に錫杖、左手には宝珠を手にしているようです。
何事も融通を利かせてくれるお地蔵様とのことで、熱心に手を合わせる参拝客も数名いらっしゃいました。実はこの融通地蔵尊、かつては天王寺七坂の「逢坂」の途中にいらっしゃったようです。
茶の湯に適した名水!逢坂清水の井戸
融通地蔵尊の手前には、枯れ井戸もありました。
「逢坂清水」と呼ばれる井戸で、かつては逢坂の途中にあったと伝わります。
逢坂を含む天王寺七坂(てんのうじななさか)とは、天王寺区内の上町台地(うえまちだいち)から西の低地に向かって下る坂道のことを言います。北から順に真言坂、源聖寺坂(げんしょうじざか)、口縄坂、愛染坂、清水坂、天神坂、逢坂と続きます。
逢坂清水の井戸。
今でこそ枯れていますが、往時はどんなに日照りが続いても清水を湛え続けた井戸だったようです。
明治の末に大阪から地蔵山に移された逢坂清水。
次回四天王寺を訪れる際は、是非”逢坂”を歩いてみようと思います。逢坂の名前の由来が大変興味深く、一説によれば、聖徳太子が物部守屋と逢って仏教の是非を論じ合ったことに因むそうです。
地蔵山の地蔵堂。
奥に見える地蔵堂は地蔵山の中心です。
融通地蔵が祀られているのは ”地蔵山の右手前” ですのでお間違いなく。中之門から入ると、すぐ右手に融通地蔵のお堂が見えてきます。
四天王寺地蔵山には、約150体もの地蔵石仏が合祀されています。明治期に境内や近辺から集められた地蔵石仏が集合しています。圧巻のお地蔵様ワールド!
三尊形式の地蔵石仏もありました。
中心の地蔵堂に祀られるのは、眼病にご利益のあるご本尊・立江地蔵尊です。
『逢坂清水と融通地蔵』の案内板。
大阪府有形文化財 地蔵菩薩立像(融通地蔵)
この井戸は逢坂清水の井戸と呼ばれ、もと一心寺の門前西、逢坂の途中にあったが、明治の末、電車道が開かれる道路工事のため融通地蔵尊と一緒に四天王寺の地蔵山に移された。
『摂津名所図会』に「清冽にして四時増減なし。茶に可なり」との記述がありどんな日照りが続いても、いつも同じような清水をたたえ水枯れせず茶の湯にも適した名水だったことがわかる。
現在は枯れているが、天王寺七名水のひとつである。
それにしても、分厚い前掛けですね。
赤い色は魔除けを意味しているのでしょう。
庶民と共にあるお地蔵さんが、幾重にも重なる前掛けに表れています。
融通地蔵の左隣には、阿弥陀石仏を祀ります。
前掛けでちょっと見えにくいですが、膝の上で阿弥陀定印を結んでいらっしゃいます。
どちらも立派な体躯の石仏です。
四天王寺境内の片隅で目立たない場所ですが、是非お参りしてほしい堂内石仏だと思います。