長岳寺の血天井。
境内の本堂には、戦の生々しい痕跡が残されています。
本堂真正面から階段を上がり、向ってやや右方向の天井を見上げると、確かにそこに足跡のようなものが見られます。カキツバタの観賞が主な目的の今回の参拝でしたが、思わぬ歴史の足跡に息を呑みました。
長岳寺の血天井。
流れ出た血は重力で足元を伝うのでしょうか。必死の形相でこの地に辿り着いた武将の無念を思います。
血天井と言えば、京都の三十三間堂の前に佇む養源院の血天井がよく知られるところです。天井を見上げながら、ガイドの方が生々しい歴史を解説して下さったことをつい昨日のことのように思い出します。
龍王山城の十市遠忠!血天井の歴史
血痕の残る板をなぜ天井に嵌め込んだのか?
養源院などでもそうですが、そこには息絶えた武士に対する敬意が感じられます。忠節を誓った者たちの跡を、足で踏み付けるわけにはいかなかったのでしょう。
長岳寺の血天井には歴史案内は付きません。
家に帰って詳しく調べてみると、山の辺の道の東に位置する龍王山城との関係が浮かび上がります。龍王山城は大和の豪族であった十市遠忠が築いた城です。その城を松永弾正久秀に攻められ、長岳寺境内でも戦乱があったものと思われます。
斬り付けられた十市方の武将が血まみれになって、縁側から本堂に逃げ込み、この場所で息絶えたと伝えられます。
長岳寺本堂。
手前に鐘、向こう側には賓頭虜尊者が見えます。
龍王山城主の十市遠忠においては、「ジャンジャン火伝説」という悲しくも怖ろしいお話が伝えられていますが、長岳寺の血天井にも同じような怨念のようなものが感じられます。忘れたくても忘れられない、そんな人間の想いが伝わってくるのです。
長岳寺肘切門が見えますね。
刀の切れ味を披露したことに由来する肘切門。
長岳寺の歴史をあちこちに見ながら、その通って来た道のりの長さを思います。血天井の天井の板は、血が付いた縁側の板を天井に張り替えたものです。
さすがにそのまま縁側の板としては使えなかったのでしょう。
本堂内の多聞天像。
天井にも何か描かれていますね。
所謂「天井画」と呼ばれるものなのでしょうか。聖徳太子生誕の地と言われる橘寺境内でも、往生院の天井画を楽しむことができます。畳の上に仰向けになって鑑賞する天井画なのですが、ここ長岳寺の天井画はそれほど本格的なものではなさそうです。
長岳寺本堂と杜若。
本堂と鐘楼門の間に見えている長いポールは被雷針でしょうか。
重要文化財の建築物を守るために講じられている対策の一つのようです。
長岳寺の賓頭虜尊者。
びんずる尊者の頭上斜め上に血天井があります。
この位置からも血天井を確認することができます。
お札の上の方にべっとりと血糊が付着しています。
長岳寺の最寄り駅はJR柳本駅ですが、一つ北側のJR長柄駅周辺を歩いた時にも戦の臭いを感じたのを思い出します。戦艦大和の御魂を祀る大和神社もすぐ近くにあります。そもそも長岳寺は大和神社の神宮寺として創建されています。
時代は違いますが、戦いの跡が見られるという点では、何か共通するものを感じます。
長岳寺庫裏。
山の辺の道ハイキングで訪れる人も多い長岳寺。
カキツバタや紅葉、それに阿弥陀三尊像の他にも意外な見所を発見することができました。
長岳寺参詣の際には、是非一度本堂の血天井を確認されることをおすすめします。